先週の月曜日(8月1日)、町内に鎮座されている(安永7年.1778年創建)八朔神社の本祭が取り行われた。八朔(8月の朔日、つまり月が消える)八月一日(旧暦)が新暦(グレゴリオ暦)に変わったので、今年は月齢3.4で、12.5%の月の姿であって、消えていない。
その昔は、月は消えていて神秘な儀式の祭礼であったか?昼間の本祭であったか?引継ぎは消えて、今では全く解らない。
今期より、神社関係の仕事は若い世代の人に引き継いだ(町内会関係も)ので、監査業務に携わることとなった。新しく氏子総代になられたO崎氏が八朔神社というキーワードでネットの検索を行ったら、僕が書いたブログが検索に引っ掛かり
・2016年8月3日 「安永7年(1778年) VOL.3 – NO.262」
(https://www.daiichi-printing.com/blog/08/3413/)
・2019年8月15日 「不易流行 VOL.6 – NO.467」
(https://www.daiichi-printing.com/blog/08/6374/)
昔のブログでは、もう6年前のこととなっているが、今だ情報はネット上に残り消えていない。
最近のFacebook(メタ)では、昨日まで残っていた情報も、ある日突然…どの様な理由や?分野での区分けか?解らないが、消えてしまう事が有る。
4年前に神社の社を新装した。銅葺きの輝きは消えて、重厚なしぶい色に変化している。前掲のブログでは載っていた前々町内会長F氏も今回の祭典では載っていない。
神社は脈々と継続してゆく。この先何世代になっても祈りの神事は消えない。又、地域の鎮守の祈りの場として消してはならない責務が現在の僕たちにはある。
社を新築した時、旧社をN竹宮司にお払いをして戴いた後、解体した。その時、昔の上棟札が社の中に残っていて、父の名前が消えずに記載されていた。新社には旧上棟札を新上棟札と一緒に残してある。何十年後に又 新装するであろうが、人々の顔ぶれは消えても、守神としての祈りの場は消えないだろう。
ダボの姿は消えていても、上棟札の名前は消えていないだろう。
人々の弥栄、消えるな!!
記 ダボ・イトウ