昨年の3・11東日本大震災は私達日本人に対して色々の問い掛けをつきつけました。
防災と言う言葉が減災と言う様に、今まで何の不思議な考えを持たなかった原子力発電も、脱原発、廃炉と、エネルギーの変換を求めている。
一見、正しい方向として意見集約が出来て来ている人達は、火力発電によるCO2排出と言う問題に対しては、答を出さない。
自然再生エネルギーとしての太陽光、風力、地熱は益々その重要性が増すであろうが、今日の決定打にはならない。
街中のポスターに「アメリカの言いなりは止めよう」と書いてあったが、アメリカが押しつけた「現在の日本国憲法は守れ」と言う。
視点のスタイルは各自、真正面から見ているが、右に居る人の正面と、左に居る人の正面は真逆でぶつかる。
全方向として全体をながめると妥協的に写る。
物事の判断の難しさを考えるが、一方的に視点を決めるスタンスの方が正しい。
中庸が軟弱であるのか、所詮判断は時間が下す。
時間の経過は結果であって、現在の時は抽選前の宝くじの購入みたいなものであると感じる今日此の頃。