先日、お世話になっているT女史から、元大王製紙社長の井川意高氏の「溶ける」第2弾を借りて読んだ。
「バカラ」での勝負で借り入れた(有価証券報告書記載済)事柄を、部下のS高氏に足元をすくわれた。
勝負で言えば、反対の目が出た様な結果であった。
勝負は言葉通り、「勝つか?」「負けるか?」の2択である。
井川氏の本の中で、「ポーカー」や「ブラックジャック」は上手、下手が有り、長時間勝負をしていると、その力量が出てくるそうだ。
ダボは、賭事に余りワクワクしない。
可能性を先に考えてしまうので、井川氏の様に頭が痺れると言う様な事はない人間である。
社会人になりたての頃、先輩が色々な公営ギャンブルに連れて行ってくれた。
静岡競輪、伊東ケイリン、浜名湖ボート、浜名オート、府中競馬を何回かやったが、勝負運が悪いのか?無いのか?解らんが、勝った事も、大負けした事もない。
つまり、井川氏の言葉通り、100万円が1000万円になって止める人は、100万円が何億にもならん。
これが確率を超えた魅力だそうだ。
《しかし、100万円が無くなる事は有る。》
静岡競輪に得意先のI藤氏に連れて行ってもらった時、言われた事がある。
「あんたは、よくお金を使うなぁ」
これは、I先輩が、僕が1レース終わる頃、フライやおでんやラーメンなど、必ず売店で買ってる姿を見ているので、そう思ったみたいだった。
当時の値段をしっかり覚えていないが、おでんやフライは100円以下で、車券を買って0円になるより、腹に入れた方が良いと思っただけである。
こんな人間に勝負勘は無い!
コンビニのコピー機の上に、12億円と言うシールを見つけた。
誰かが当たる。(持ち越しか?)
宝くじは、3億円(前後賞合わせて)は必ず誰かは当たる。
10,000,000分の中で一つは当たるのである。(300円券で1000万通 1ユニット)
可能性は0ではないのである。
1000万分の1は、1/100×1/100×1/100×1/10でも良いし、1/10×1/10×1/10×1/10×1/10×1/10×1/10でも、当たり1は必ず出る。
可能性は0ではないのだ。
由紀さおりさんが歌った「手紙」の歌詞の中に、
「死んでも貴方と。。。一緒に居たいと。。。」
僕等の世代は覚えている。
可能性はこの世とあの世では絶対の解離が生じる。
可能性は0となる。(歌詞では実際は別れとなった。)
「この世で一緒になれぬなら、死んで。。。」
と曽根崎心中での言葉だ。
この世で一緒になれない可能性が0ならば、あの世での可能性は?
これは面白い。
有るとも無いとも証明する術がないので、0ではない。
この世では0である。
先般、某人がダボに言った言葉に、
「死ぬまで×××××」と言った。
この時の意味を可能性と言う言葉で考えてみた。
果たして可能性の数字は・・・?
宝くじは当たりが有るが、徳兵衛とお初の、この世での可能性は0、と判断した。
宝くじは、1000万分の1で当たるが、死ぬまでと言うと、可能性は0となる。
「死んだら一緒に墓に入りたくない」と言う夫婦関係を聞くが、我が家の確率は・・・わからん?
記 ダボ・イトウ