僕は兄貴とは2つ違いである。
父が復員して、母と結婚して、兄弟が生まれた。
兄貴は昭和24年生まれ、来月74才になる。
僕の母子手帳が残っている。
昭和26年と言うと、大東亜戦争終結後、まだ6年で、食料事情は悪かったみたいだ。
僕の母子手帳には配給の文字が残っている。
食料は人間が生きてゆく為の、最も求める欲求である。
衣食住は古来より生活の基本で、人間は脈々と、食料を求めて生き方を決めて来た。
今月2日、目を引くニュースが2つ有った。
一つは、モルディブで親中政権が復活した。(前政権は親インド派)
もう一つは、スロバキア議会選挙でNATO結束から少し距離を取るスタンス(ウクライナ支援停止派)が第一党の座を獲得した。
つまり、理念より、生活第一番で世の中は動くと言う事だろう。
戦時中を生き抜いた母(千代子さん)は、食間の納戸の中に砂糖と塩を絶えず保存してあった。
又、冬場は新聞紙に包んで、「干し芋」を納めてあって、冬場の火鉢で焼いて食べていた。
(当時の干し芋は今と違って、水分量を少なくなるまで乾燥させていたので、今と違って長期保存が可能だった。)
その母も亡くなって15年になる。(平成18年11月2日没)
手元に母の残してくれた封筒がある。
晩年の文字なので、少し雑に書かれているが、母のダボに対する思いはひしひしと伝わって来る。
今日はダボの72才の誕生日なのです。
平均寿命であと10年。
どうなることやら、想像も想定もわからんが。。。
わかっていることは、必ず死ぬ〜。
記 ダボ・イトウ