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一方通行 Vol.10-688

もう時効だろうから、記してしまう。

昭和50年の初め、ダボが23〜4才位の時、この通りは一方通行ではなかった。

何故、覚えているかと言うと、近所の●ちゃんと言う女性と、二人乗りで昭和通を安西に向かった「M」と言う飲み屋に行った帰りに、バイクに二人乗りで通ったからである。

この「M」と言う店は、一寸特殊な店であった。

20才そこそこの年代の若者が通う様な店ではなかった!!

初めての店に、「ふら〜」と入るのが好きだったのは、この頃からの癖だった。

ここの女将と話が合って、度々行く様になった。

(当時かなり年上だったのに、妙に面倒を見てくれた。)

この場所も、女将が亡くなって空地になっていたが、今は駐車場になっている。

僕が行った頃は、手伝いの女性達はもう居らず、女将も足が悪く、四畳半の部屋で、古くその道で鳴らしたであろう親父と3人で、一升瓶を置いて、ツマミも無く飲んだ店であった。

蛇の道は蛇で、何故若造がこの店に入ったのか?わからん。

嗅覚に吸い寄せられた!!



細い路地が一方通行になる時代である。

一方通行の良い点は色々とある。

先ず、事故が少なくなる。

細い路地は両方側からの通行だと鉢合わせになって、時にはトラブルが生じるので、一方通行は利点が有る。

然しながら、50年前の様に一方通行でなければ、近路として家に帰る時は便利である。

又、一方通行では、同じ方向を向いている人は解るが、一本隣の道を通っている人は会わないから、たとえ近所の人でも、時間帯が同じでも、会う事が無いので、理解する事は皆無である。

色々なニュースが流れている。

ニュースを聞いていて、「一方通行」を思い出したのである。

両通行なら東に向かう人も、西に向かう人も、互いに会うので、どちらが多いのか?少ないのか?解る。

一方通行も東に向かう人が100だと解っていても、西に向かう情報が入らねば、200なのか?50なのか?全く解らん。

推測では判断出来ないのである。



秋田県で熊3頭を駆除したら、県外から数100本の駆除に反対する電話がかず多く寄せられたと言うニュースが流されている。

しかし、地元で被害に直面されている「駆除してくれ」と言う声が流れて来ないので、反対との比率が解らん。

政治の話ではない。

辺野古問題も然りである。

判決が決定されたが、沖縄県は受理しない。

法を遵守すべき行政が。。。と思う。

これに対する逆方向の声は聞こえない。

普天間基地の危険解除は遠のく。

又、本土(表現が良いか?悪いか?解らん。)で受け入れを容認する処は皆無である。

 

統一教会の問題も同じ様に感じる。

被害者の苦悩を理解したい。

又、信者の気持ちも知りたい。

又、離婚の印を押した段階での、相手の話も聞かねば「一方通行」の様な感じがする。

ジャニーズ問題で、マスコミの対応について社内調査の話が出ていたが、全て当時の責任者は匿名で、顔も出てこない。

これで禊が済んだであろうか?

今、パレスチナの衝突は、悲しい出来事である。

これも時代の背景の責任をあまり検証しない「一方通行」の様な気がしている。

所詮、色々の事を、人は都合の良い「一方通行」を使う。

自分の進む道は、正しい方向に進んでいる。

一方通行を逆に入ってくる人は悪である。

でも、一寸前までは両方通行であったのである。

一方通行を決める時、背景を説明せねばならないと思う。

 

 

     記 ダボ・イトウ

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