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記憶 Vol.11-707

先月の8月8日、宮崎、日向灘でマグニチュード7.1の地震が起きた。

この地域が南海トラフ大地震の想定地域の範囲内だったので、初めて南海トラフ地震臨時情報が気象庁より発表された。(8月15日 注意の呼び掛けは終了)

これに依って和歌山白浜海水浴場はお盆の稼ぎ時に遊泳禁止を決めた。

宮崎県のホテル、旅館は、キャンセルが大量に発生し、経済的に稼ぎ時なのに、大変な状況になった。


今日は9月1日です。

これは1923年(大正12年)9月1日午前11時58分に起きた、関東大震災の被害を忘れない為に設定されている。

この時の地震は、マグニチュード7.9と言われて(震度6)、死者は10万5千人にも及んだ。

母 千代子

僕の母(千代子)は、大正元年(1912年)生まれで、震災の時、11才でした。

母は、当時、牛込区鶴巻町で育っていた。(今の早稲田付近)

この震災の時の話をしっかりと記憶していた。

当時の様子を、「下町の空が真っ赤に燃えていた」

「当日は、家屋の倒壊が怖くて、外に布団を出して寝た」

この二つの記憶は生前、何回も話してくれた。

未だ子供だった為か?地域が少し離れていた為か?「死者の話」「復興の話」「朝鮮の人達の話」は全く記憶にはなかった。

95才で亡くなったが、90年前の事が強烈な印象であった。

人生の深い記憶に残る出来事であった。

※父親(勲)は、東京大空襲の日(昭和20年3月15日)、満州から命令で東京に来ていて遭遇し、「恐ろしくて、逃げて、満州に帰った」との記憶であった。

その後、本土防衛の為、内地帰還となり迎留もされず助かった。

この時の空襲の記憶も深く残っていた。


近頃、物忘れが多い。

昨日の昼食は何を食べたか?はっきりと、すぐに記憶が蘇らない。

90年前ではない、昨日の事だ。

酒を毎晩飲んでいた頃は、朝起きて、昨晩の事の記憶は全く無かった。

朝、アゴを触って、ヒゲを剃ってあれば、風呂に入った。

ヒゲが伸びていたら、風呂に入っていない。

それ程、記憶が無くなるまで飲んでいた。


40年前の今日、ダボは、この日をしっかりと記憶している。

用宗港の側にある「T島」と言う磯料理店で会食した。

非常に素晴らしい料理だと記憶している。

アワビの踊り焼きも最高でした。

横綱稀勢の里が言った「記録に残るより記憶に残る相撲」、回数ではない、記憶に残る事が大切な事です。

 

 

 

       記 ダボ・イトウ

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