3月に入りました。
3月1日から渓流釣りの解禁になった。
(アマゴ、マス。鮎釣りは6月解禁。)
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従って、安倍・藁科漁協の鑑札が、先月末に届いた。
毎年の事だが、鑑札の個人番号がNO.237からNO.196に変わっている。
つまり、41人が組合員から減ったと言うことになる。
この組合員の減少は、何故だろう。
①河川が荒れてしまって、満足な釣りが出来ないので、釣り人が各地から来ない為。(地元の釣師は、他の河川に出掛ける。)
②現在の、若者は釣りをする場所や釣法が多様化していて、安倍・藁科川の魅力が感じられないと言うこと。
③組織変更が新しくならず、役員の年齢が高過ぎるとか?(年配者が悪いのではなく、若者の意見の取り入れが必要。※ファミリー広場などの設置など)
ダボの父親も川釣りが好きで、よく二人で出掛けた。
父は、先日のブログ「霊柩車(https://www.daiichi-printing.com/blog/02/13888/)」で書いたが、1999.2.19に亡くなった。
父も安倍・藁科漁協の組合員で、鑑札の最後の番号は、104番でした。(平成11年(1999年)の鑑札は貰えなかった。)
父は、晩年6年程は、釣りに出掛けることは無くなっていたが、この鑑札番号が2桁になるまで、「健康の御守」だと言って、賦課金を払って鑑札を買っていたが、2桁に届かなかった。
アマゴの解禁は3月からで、鮎釣りは6月からである。
10月より禁漁になり、5ヶ月間、釣り師は他の趣味を行ったり、カタログ等を眺めて、解禁を心待ちにしている。
(※ダボは、この期間はマラソン大会に出る事にしていた。)
この休漁中の我慢が、解禁の喜びに繋がる。
久しく、ダボは2年程、禁止している事が有る。
解禁した時は、我慢した分、喜びは大きいだろう。
アルコールは今年6月で、20年の禁酒期間を迎える事になる。
こちらの解禁は自分で決められる。
他人の決めた禁止期間は辛いが、自分で決めた禁止期間は自由に解禁出来る。
これは、他人が決めた禁止期間より、より辛い。
この意味解りますか?
禁欲する、即ち煩悩を断つ!!
追記:
1999年は羽鳥でも牧ヶ谷でも、オトリ屋が有った!!
記 ダボ・イトウ