僕が大学へ進学して東京に出た頃、渋谷の街頭で、街宣車の上で独特なヘアスタイルで大日本愛国党の総裁、赤尾敏氏が「日本民族の団結」とか「共産赤化防止」とか、よく話をしていた。
当時は、丁度ベトナム戦争の真っ最中で、右翼、左翼と言う(何が右翼なのか左翼なのかはっきりしないが、何でも反対が左翼、この決定に異を唱える人は右翼ぐらいの大まかな区別)対立軸の中で、赤尾敏氏が独特の風貌と口調で演説をしていた姿を思い出す。
この赤尾敏氏が常に褒めていた人物が、社会党赤沼稲次郎氏を刺殺してその後自殺した山口二矢(氏)であった。
日比谷公会堂での立会演説会での出来事で、スクープ写真として有名である。
この時、確か、カメラマンがカメラを投げた方が良かったか?写真を撮る事が報道写真家としての使命か?問われた。
それから25年経った昭和60年に起きた、永野一男豊田商事会長刺殺事件も、大勢のマスコミが居ながら止める事が出来なかった。
今回、トルコ人とクルド人の紛争の報道を見て、何十年経っても、結論の出ない話と感じた。
新聞記事を見る立場からすると、不謹慎の誹りは免れないが、情報は欲しい。
被害者側にしてみれば、報道写真家がその場でカメラを投げたり、手を出して止めていれば、クルド人の高い鼻の骨は折れる事もなかったであろう。
記 ダボ・イトウ