駿府城公園に歩いて行った。(続きです)
振り返ってみたら、幼稚園、小学校、中学校と合計12年間、お堀の廻りの学校だった。
最初の写真は巽やぐらを撮った。
僕がこの橋の前の城内中学に入学したのは、昭和39年。
丁度、東京オリンピックが開催された時だ。
この写っている橋は、現在は木橋となっているが、当時は石橋であった。
そして入口の右手には銅像が無くなっていた。
橘中佐の台座だけが残っていた。
亡くなった母が、ここで親しい人の出征を送ったと、話をしてくれたので、よく覚えている。
市民文化会館を過ぎると、この次は小学校だ。
僕が昭和33年に入学したのは、城内小学校でしたが、今は青葉小学校と合併して「葵小学校」と名前が変わった。
当時の校歌で歌われていたユーカリの木は何処にも無かった。
小学校を過ぎると、聖母幼稚園になる。
ここはあまり変った感じはしなかった。
教会は幼心に、祈ると言う事を教えてくれた。
この横に雙葉学園が有る。
二人の娘が通った学園だが、通学していた時と変って新校舎になっている。
その前に公園に入る橋が有る。
この西門橋は、非常に想い出の残っている橋だ。
日曜日(11月29日)は落葉していて、彩りは何も無かったが、春の桜の季節には凄くロケーションの良い場所である。
ここで、亡くなる一年前の父と撮った写真の想い出は、昨日の様に甦る。
平成10年の4月の桜だ。
静岡市立病院に1月に入院して、一寸外出許可が下りて、父と出掛けた。
想い出に残る写真だ。
この後は、二之丸橋を渡って公園の中に入った話に続く。。。
記 ダボ・イトウ
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