一昔前、子供達が小さい時(今ではお姉ちゃんは36才、下の妹は33才)よく、TVでクレヨンしんちゃんが流れていた。
確か、「俺ら〜」とか言う独特な言い回しの言葉を使っていた事を覚えている。
僕は、クレヨンキンちゃんと呼ばれている。
何か珍しい品、美味しい物があると、自分で食する事よりも「他の人に喜んでもらえたらさぞ嬉しいだろうなぁ」と思って、即プレゼントする。
それなので、周りの人は「余裕のある人」と思っているが、そうではない。
自分の性格である。
何でもあげて(くれて)しまうので、他人は「クレヨンキンちゃん」と呼ぶのである。
もう東大震災の前ですから、6年以上前になるのであろう、「はたけなか製麺」と言う宮城の会社から「温麺」を取り寄せていた。
サイズが小ぶりなので、汁物として食べたり、一寸小腹を満たす時に都合が良く、よく取り寄せていた。
その「はたけなか製麺」から、アカモク温麺を近頃有名と言うので30束取り寄せた。
今日ブログでこの話を書くつもりで写真を撮ってUPしようと思ったが、既に手元には一束も残っておらず、仕方ないのでネット販売しているところから借用した。
先月の13日で、脳梗塞発症12年が過ぎた。
(病気は10年経つと再発と言わないそうである)
宮城石巻から生鯨の取り寄せを行なっていた。
しかし、突然の入院の為、5kg購入した鯨肉は「アカモク温麺」と同じ様、一口も自分の口に入らず、知り合いに分けてしまった。
しかし、何も「惜しかった」と言う気持ちはない。
誰かが食して喜んでくれればそれが嬉しいのである。
依って、周りの人は僕の事を「クレヨンキンちゃん」と呼ぶ。
先日も福井・南部酒造から生酒を取り寄せた。
脳梗塞以来、酒を止めたので、取り寄せた品は皆プレゼントしてしまう。
12本買ったが、あっという間になくなった。
伊豆に住まいを移した昔の仲間Mさんに送るのを忘れた。
ゴルフの師匠であるIプロにも差し上げていない。
「追加の10本も買うか?」と思ったが、財布の中が軽い。
よく考えてみたら、僕はもう年金生活者であった。
生活スタイルを変えないと暮らしてゆけない。
もう若い人の時代と、しみじみ思っている。
このスタイルの変更こそが、今、問われている。
「生活のスタイルを変える」
これこそが自分の生き方のアイデンティティーであった筈だ。
新しいこれからの生活の仕方を求めていこうと思っている。
追記
それこそ一昔前、丸井静岡店の裏側、松坂屋北館との間に「マリオンクレープ」と言う店が有ったが、これも今ではなくなっている。
「クレープ」は貰うものではなく買うものである。
記 ダボ・イトウ
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