若い頃(今でも青年時代と本人は思っているが・・・)、イワナ釣りが趣味だった。
井川源流の二軒小屋の上流、西俣が僕の釣場(ポイント)でした。
特に良場だったのは、新蛇抜沢が西俣と合流する本線がアプローチも簡単で、良型が多く出る処だった。
蛇抜沢(新ではない)を2時間程遡るとめったに釣人が入らない隠しポイントであるが、アプローチが大変なので、当時でも2年に1回くらいしか狙わなかった。
アプローチが大変だが、一度は行ってみたいと考えていた釣場は黒部川上流、上の廊下(黒ビンガ)と双六谷(そうろくたに)であったが、夢叶わずで終わってしまった。
(もう10年以上前のことですが、アプローチが大変だからか?知らないが、ヘリコプターで降りて釣りをして非難を浴びた某有名化粧品会社の社長さんが居た。
この時のコメントは、「清流の持つ清々しさが我が社の化粧品と同じなので、それを感じに行った」と言う事で、「けしてイワナ釣りを簡単にしようと思ってヘリコプターに乗った訳ではない」と言った事を今でも覚えている。)
双六谷は高原川と合流するが、この高原川も行ってみたいと思っていた。
「閑話休題」
僕は丁度12年前に軽い脳梗塞を発症して、左足先と左手先に痺れが若干残った。
その為、渓流の石の上でのバランスが悪くなり、河原を歩くときに腰が引けている。(何だか今の仕事に対する姿勢みたい)
その格好が嫌なのと、人の居ない処で脳梗塞を再発したら戻って来られないという気持ちが働いて、双六谷でイワナ釣りは諦めた。
先日、「戻って来ない」と思っていた上記写真のビデオカメラがひょんな事から手元に戻って来た。
丁度、病気の少し前に始めたゴルフは今でも続いているが、左足のバランスがうまく取れないし、背筋力も以前より無くなって、ボールの飛距離が格段に落ちた。
それなので、フォームを少し修正し、スウィングに対する気持ちを入れ直して、近頃はプレーしていた。
だんだんと気持ちが入れ替わって、そろそろ満足できるか?との域の間近になってきたと思った瞬間、戻ってきたビデオに病気前のスウィングの映像が残っていた。
これを見て、もっと昔は体を大きく使っていた事を思い出し、一瞬で、双六(すごろく)の上り(あがり)の前のサイコロの一振りが「元に戻る」に入ってしまった。
スウィングを元に戻そう!
又、振り出しに戻ったという事である。
サイコロを最初から振り直してゲームの再開だ。
一瞬にして双六(すごろく)はサイコロの目によって、途中を飛び越して上がる事も出来るが、一瞬にして又、振り出しに戻ってしまう事もある。
この残っていたゴルフスウィングのワンシーンが双六(すごろく)の一振りでした。
もう30年以上も前になってしまうであろう。
「黄金の左」と呼ばれた横綱「W関」が、年寄株を担保にしてお金を借りたとのことで、問題となり、廃業したことがあった。
その時のお父さんの言った言葉を今でも覚えている。
その父親の言った言葉。
「裸一貫でここまで来たんだから、また裸になれば良い」
正しく名言と今でも思う。
立派な言葉だ。
双六(すごろく)で言う振り出しに戻った訳であろう。
このビデオの中には、確か他にも撮ってあったシーンが残っている筈であったが、それは無かった。
このシーンは双六(すごろく)ではなく、凄録(スゴロク)であったような気がしている。
記 ダボ・イトウ