ダボの父親 伊藤勲は昭和20年8月15日 大日本帝国 陸軍軍人としての軍歴を閉じた。
ダボに対して、生前 父は(平成十一年二月十九日 没)、「軍人として生涯を終えると思っていた。」とか、「軍隊は一般的に想像される兵隊と違って公務員みたいだぞ。」とか、話をしてくれた。四国の高知で終戦を迎えた時、「その日は非常に暑かった」とも憶えていた。復員となった時の話は、このブログで昨年書いた「大八車 VOL.6 – NO.469(http://www.daiichi-printing.com/blog/08/6424/)」。戦友のT氏と郷里に戻る時、父は放出物資を一つも持たず、T氏の分を持ってあげて、T氏は終生 ダボに対して「貴方のお父さんは欲のない清廉なんだ」と言われて、非常に嬉しかった。
でも「なぜ、物資不足で日本中が困っている時、貰える放出物資をもらわなかったんだ?」と聞いた。その答えに父は「自分の人生は軍隊で終焉を迎える覚悟だったので、その後の人生に夢が持てなかったからだ」と話してくれた。その後、郷里 静岡に戻り、母 千代子と会い、兄貴とダボとの生活が始まった。
毎回 毎回、このブログもコロナウイルスから逃れられない。全く暗く、将来が見通せない。今日現在、三密活動のみが感染防止策なので、人間として、社会人として、企業人として、この危機を脱するために、会社を今週から 2/3(三分の二)休業にすることにした。今まで法定で休みが増えることはあっても、自主的に休業するなんて想像がつかない、今年前半である。でも今年の会社の行動指針は「全力を出し切る」
と決めた。負ける訳にはゆかぬ。
休業にあたり、社員の皆さんに「三密を守ってください、お願いです。」と言って、僕個人から先週末 終業時に、お米10kgと塩1kgをプレゼントした。
少し巣籠りをしてもらう日本人の必要物資だ。
社員皆様にお願いの文章もつけた。
父が終戦の時「将来の夢が無かった」と言ったが、父は当時28歳、ダボは現在68歳であるが新しく激変する社会に対してダボは「激変するであろう未来に夢をみている」この苦境を乗り越えたメンバーと、地域人として新たな挑戦だ。
会社のシャッターにも「明日への挑戦」と書いてある。
記 ダボ・イトウ