「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ玆ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英ニ國宣戦セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾・・・」
と昭和天皇の御聖断が下って大東亜戦争は終結した。既に75年の歳月が流れた。開闢(かいびゃく)以来の敗戦で日本の統括機構や人々の思考、価値観全てが激変した。
昨年は確か?2019年8月24日「大八車 VOL.6 – NO.469」(http://www.daiichi-printing.com/blog/08/6424/)というブログを書いた。ダボの父親(伊藤勲)は、終戦で今までの価値観が消え、将来を見通せずになったと言う様な事を書いた。
社会が激変したのである。
先の戦争で日本の死者は300万人とも350万人とも言われている。
「日本軍兵士」と言う本で、300余万人の死者の内の90%が昭和19年から終戦にかけて記してあった。昭和18年までに停戦していれば死者は60万~70万人で済んだのである。何故この決断が早く出せなかったのであろうか?何時も僕は「外圧」が無いと人間はなかなか自らでは決められないと思っている。当時軍部を指揮していた人達は東京帝国大学より難しい関門を突破した「士官学校 海兵学校」を卒業して、その後「陸大や海大」を卒業した人がこの戦争を指揮した。軍人は学問プラス運動能力も求められる職種である。このトップの人達も、戦争を止めて死者を減らすと言う決断を下す事に躊躇し、従に死者を増してしまった。御聖断の降りる前には「一億玉砕」とか「最後の一撃」とかのスローガンの下、戦争を止められなかった。
この様な事を「外圧 VOL.4 – NO.352」(http://www.daiichi-printing.com/blog/12/4558/)というブログでも以前(2017年12月21日)書いた。
本来なら今日はオリンピックで日本中が沸き上がっていた筈であったが、コロナ禍の時代で世相は激変してしまった。コロナウイルスは人類にとって「外圧」である。しかし考え様に依ってはこの外圧が自ら出来なかった変革を遂げる良い機会となるだろう。戦争の終結も連合国によってもたらされた結果である。我が社も掛け声は「アナログからデジタルへ」と何年も前から言っていたが、なかなか出来なかった。国の方針も首都圏移転や地方分権もコロナ禍で急速に進むであろう。弊社も9月よりオンライン営業を開始する事になった。
でも僕の得意営業技「今晩出掛けませんか?」これも継続してやる。何か前回のブログ「二兎(2匹のウサギ) VOL.7 – NO.519」(http://www.daiichi-printing.com/blog/07/7950/)に似てきた!
記 ダボ・イトウ