本来、今年は東京オリンピックで、日本中が沸き上がっていただろう。
陸上競技での男子400Mリレーや、日本人の100M決勝進出や、女子レスリング・柔道・マラソン・水泳と、歴史的な瞬間を楽しみにしていたが、コロナ禍の為 一年延期になってしまった。
今の環境を予想した人は誰一人として居なかった。日本中が楽しみにしていた今夏は、帰省自粛とかで反対に息苦しい夏だ。
1964年(昭和39年)に東京オリンピックが行われた。
丁度56年前の事で、ダボ13歳の城内中学に入学した時である。小学校の時には経験した事が無かったが、中学校で初めてテレビを見せてくれた。白黒のテレビで東京オリンピックの中継番組を見せて貰った事を覚えている。(競技は何であったか全く覚えていない。)
先日、名前に覚えのない女性から写真フレームが届いた。
誰からだろうと思い出そうとしたが、同封されていた手紙を見て解った。中学一年生の時のT先生の娘さんであった。
東京オリンピックが開催された昭和39年4月にダボは静岡市立城内中学に入学したと上述した。その時の担任がT先生であった。若くて美人でとても思い出深い先生であった。
昨年の8月初め、T先生の名前を訃報欄の喪主の処でみつけた。ご主人が亡くなった、通夜の通知であった。
先生とその前、顔を会わせたのは、同級生であった親友のY氏がインドへ転勤する際、しばらく日本から離れるため、挨拶をするのに一緒について行った時で、もう30年も前の事だった。それからしばらく先生にお会いしてなかったので、通夜に出掛けた。先生は喪主席に車椅子に乗って居たので簡単に挨拶だけ済ませて失礼した。
3日後、会社で仕事をしていたら先生からTELが有った。「通夜の席では話が出来なくてゴメンね」と言われ、30分以上の会話をした。
先生は37歳の時、最初の癌がみつかり、それ以来 何回も手術したとの話とか、現在は83歳になった事、僕が13歳の時、先生は27歳だったという事などを話してくれた。一番嬉しかったのは、弊社が始めた「かみ缶」事業の新聞記事をしっかりと読んでくれていて「あの伊藤君、懐かしいわ」と、思い出した時の事を話してくれた。
今年の年賀状の返事がないなぁと思っていた時、昨年 先生が亡くなったと欠礼ハガキが娘さんから年明けに来た。そして今回、又 自宅に有った桧で作ってくれたフレームを送ってくれたという訳だ。フレームに、先生の当時の写真を入れようとしたが、先生は僕らの担任を終えた後、退職してしまったので、当時の写真がなかった為、同期会で元気な頃の写真を見つけて飾らせて戴いた。
さようなら典子先生!合掌
記 ダボ・イトウ