昨日(太陽暦2月11日)は、戦前は、「紀元節」で、神武天皇が即位された日として、祝日でした。
紀元節の名前は、今では「建国記念の日」と言う名称に変わってます。
大東亜戦争終結後、戦前の価値観は、340万余人を数える死者と共に消え去り、新たな民主的な制度構築となった。
世界各国、どの国に於いても「建国記念日」を制定している。
(フランス7月14日、ドイツ10月3日、アメリカ(独立記念日)7月4日
、イタリア6月2日)
※イギリスは、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの連合国家なので、統一した建国記念日はない。
戦後、復興の兆しが見えた昭和20年後半頃から、紀元節の復活が叫ばれた。
保守層では、紀元節の2月11日の主張が有り、当時の野党第一党であった社会党は、日本国憲法施行日を、公明党の前身政治連盟は、講和条約施行日を、民社党は聖徳太子の十七条憲法が制定された日をと、それぞれの意見を持ち、譲らなかった。
時の総理、佐藤栄作氏が、なかなか合意がまとまらないので、政令で2月11日に決めた。
この時、『建国記念日』としてではなく、『建国記念の日』と、のを入れる事で、日付を確定しない案で、祝日が決まった様な話を聞いた事がある。
この決定した昭和41年から、既に59年の歳月が流れている。
今の時代では、2月11日が、「建国記念日」と制定されたら、「国家主義だ!」と言う人も、「反動的だ!」と叫ぶ人も、ダボの側には居ないし、「建国記念の日」だから、紀元節の復帰でないので、許容すると言う人も聞かない。
今上陛下が硫黄島慰問をされると記事が載っていた。
栗林中将が最期の突撃を行って玉砕したのは、昭和20年3月26日である。
硫黄島陥落日ではない(最後の総攻撃)。
生き残った数少ない兵士は、死ぬまで戦ったのである。
3月26日は、硫黄島陥落の日です。(栗林中将戦死)
紀元節は、忘れる人が多くなっている。
水に苦しめられ、祖国防衛の為、全力で戦った将兵の事は忘れ難い。
天皇陛下の慰問は意義がある。
反動的なブログでは有りません。
記 ダボ・イトウ