一昔の時代、霊柩車は、宮型と言って、ご遺体を乗せる車は一目で解る仕様でした。
この型の霊柩車の町内乗り入れを断る自治会も有った様な時代も有ったが、今ではこの宮型霊柩車を手配する葬家は少なく、ほとんどが洋型に変わっている。
この洋型霊柩車は、運転手さんと、葬家の二人が乗る。
一般的には当地では、出棺 → 火葬 → 葬儀、と言う流れです。
(火葬場や菩提寺様の都合で、葬儀 → 火葬 もある)
その時、葬家二人が乗る霊柩車の中では、一人が遺影を持つ。
火葬場に着くと、即、読経が始まり、点火となる。
50分〜1時間の後、収骨となり、葬儀場へ移動だ。
近頃は、会館出棺が多くなり、自宅 → 火葬場 → 菩提寺(葬儀)と言う流れは少なくなっている。
平成11年(1999年)2月22日、ダボは洋型霊柩車に母と乗っていた。
(AM11:00)
※タイトルの写真は、思い出の光景です。
(雪の富士山を見ると。26年前を想い出す。)
前々日の2月19日、父(伊藤勲)が亡くなった。
今から26年前の平成11年(1999年)、静岡市立病院で肺気腫の為、午後14:57 享年81才の生涯を終えた。
父は大正7年11月15日、静岡 麻機池ヶ谷で生まれた。
青年時代は、学業 → 兵役 と過ごし、予備役編入後(昭和20年8月)は、物価統制組合に勤務(この時、妻(ダボの母)千代子と知り合う)した後、印刷業界に足を踏み入れた80年の生涯でした。
弊社は、現在、法人73期を開始している。
法人化以前に、2年程事業を始めて、爾来、父は、神武景気もバブル期の好景気も、バブル崩壊後の不景気も、経験して来た。
現在の社会情勢の下では、どの様な考えを持っているか?死んでしまったので、聞く術がない。
ダボ一人の判断になっている。
一緒に居た時間が懐かしい。
お墓に行って何か聞こえるか、今から行って来ます。
記 ダボ・イトウ