「木曽路はすべて山の中である」
との書き出しで始まる、島崎藤村の小説を、中学のとき読んだ事を今朝思い出した。
あと、1ヶ月も経つと、春分の日となり、昼と夜の時間が同じになる。
それから夏至まで、陽は早く昇り、遅く沈む。
恐らく人類が地球上の動物の頂点に立っている時代には、この時間軸に変化はないであろう。
陽が早く出、昼間の時間が長くなると言う季節は、明るい気持ちで、行動は活発化し、希望と夢が膨らむ。
冒頭の写真は今朝の5:43の写真で、丁度コーヒーを入れ終わり、工場に居る人に届ける時だった。
未だ薄暗く外は見えない。
この写真はそれから40分経った後で、回りは明るくなり始め、もう電気は要らない。
それから2時間経つと明るく暖かい(今日は雨上がりで快適な日)時間となった。
夜が明けると言う事は、素晴らしい世界の始まりである。
しかし、ちょっと待てよ。
藤村の書いた木曽の山は、文明開化に依って幕政の時よりも明るくなる希望が失われたと言う事を書いてあった様な気がする。
ピケティー教授の「21世紀の資本」は、脈々と貧富の差を無くす努力をして、もう少しで夜明けだと思っていた人々に、格差の増大をデータで教えているし、
イスラム国の勢力の拡大を、誰が予想したであろう。
「アラブの春」と言われた改革は、夜に戻ってしまったのか。
人間の素晴らしい時代の始まりで、夜明け前はもう少しなのか解らない。
ギリシャの金融危機に対し、EU各国は6月まで問題を先送りした。
この先の時間の経過が明るい夜明けになるのか、長い時間軸の中で掛かるのか予想はつかない。
人間は自分の立ち位置を客観的に見られない生き物である事は、明らかである様に感じた朝だった。
(毎朝、鳩が時間になると飛んで来て、明るい一日が始まる。)
記 ダボ・イトウ