明日は3月1日。
今年も6分の1が終わった事になる。
正月からの2ヶ月間を振り返ってみると、
イスラム国の問題とか、ここ一週間の中学生の事件とか、ニュースの無い日は無く、
これからも過ぎた事を検証すると「あの時、あの事」と、思い出となる。
3月1日。
この日は、僕にとって、振り返ってみると、大変色々な事があった日となる。
一つ目は、渓流釣りの解禁日である。
(漁期は3月1日〜10月31日)
安倍・藁科漁協の鑑札が来た。
ブログのトップの写真を見てください。
赤い腕章は、平成4年の父親の鑑札(父も釣り好きの人でした)で、
緑の札が僕の今年の鑑札だ。
父親のNO.は、160番。
今年の僕のNO.は553番。
父親は平成11年No.95の鑑札を取った年に亡くなった。
即ち、平成4年から11年まで7年間過ぎた間に、番号が65番上がった。
この7年間に65人の組合員の方が、亡くなったか?脱会したか?と言う事になる。
一年間平均9.2人。
僕の553番から、父の亡くなった年の番号95番まで、458人。
これを9.2人で割ってみると、49年。
即ち100才ぐらいまで生きられると言うことになる。
又、3月1日は駿府マラソンの日でもあった。
20年前はハーフマラソンをよく走っていたが、今は、静岡マラソンと名前を替えた。
マラソンももう10年程、脳梗塞を発症した以来走っていない。
この3月1日は、花粉症を発症した日でもある。
それまで何のアレルギーも無かった自分が、マラソンのゴールと同時にクシャミと鼻水が急激に出た。
その時は、一日で終わったが、翌年又ゴールした途端、又、症状が出て、それからは毎年の事となってしまった。
(恐らく、長時間[ハーフマラソンを95分を切って走っていた]のランニングで体力を使い切って、体質が変わってしまったのであろう。)
友達のEさんが、先週の東京マラソンを完走して来た。
写真を送ってくれた。
彼は、僕と同じ年だ。
フルマラソンを完走した事は、立派です。
フルマラソンを完走した事は偉業である。
これは、完走した人しか解らない。
それにしても人間は、40km走ると、あと2kmの体力が全く無くなるのは何故だろう?
「空っぽ」
と言う言葉の意味が、本当に解る距離だ。
(追記)
3月1日の解禁日に、父親と釣友T氏と3人で、安倍本流大河内ダムの下で、釣りをした事は30年も前のことだが、昨日の様に鮮明に覚えている。
本当に寒い日で、ワンカップ酒を飲んだ事も思い出である。
記 ダボ・イトウ
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