仏壇にあるグラスに水を替えるのは夏場では1〜2日、冬場の此の頃は4〜5日に一度の習慣である。
20年程前は毎日水を替えていた。
お線香は朝出社する前に必ず兄貴の家族の分と合わせて8本火を付ける。
浄土真宗大谷派(東本願寺)なので、お線香は立てずに横に寝かせるしきたりである。
母親は平成18年11月2日に亡くなった。(享年95才)
平成18年の9月15日、自宅のベッドで軽い脳梗塞に罹り日赤に入院。
その年の3月10日に大腿骨を折って2ヶ月入院していて、やっと退院したばかりであったが、寿命と言うことか、今度は脳梗塞であった。
左半身に麻痺が残り、口からの食事が採れなくなった。
水も飲めなくなった。
水を飲むと誤嚥性肺炎になる恐れが有ると言う事で、点滴と、口を濡らしてあげるだけの看病になった。
やはり水を飲みたいが、医者に止められていたので、我慢させた。
「水を飲みたい、飲みたい」と死んでいったので、仏壇にはその時の事を想い出して「沢山飲みな!」と捧げる。
死んでからでは遅いので「あの時飲ませたら」といつも反問している。
僕の寝床の脇のテーブルには、毎晩一眼レフカメラのレンズの形をしたコップにウーロン茶を入れて寝る。
夜中に喉が乾くのである。
普通のカップの他にもう一つ用意してある。
2杯飲んでしまうと、500mlは飲むだろう。
(僕は酒は飲まないので、飲み過ぎて喉が乾く訳ではない)
父親も寝床の脇のテーブルに必ず水を置いて寝ていた。
年寄りになると喉が乾くのか?
寝る時は必ず水を置いてあった。
僕も年寄りになって、父親に似てきたのか?同じ習慣だ。
その父は、平成11年2月19日午後1:57に亡くなった。
明日は命日です。
今朝、仏壇のグラスの水は波々と注いで来た。
今からお墓に行ってお花を上げて、グラスに水をたっぷりと盛って、父親と母親と話をして来よう。
記 ダボ・イトウ