海釣りに行く。
朝早い時間に「こんなに多く魚が居るんか?」と言う程アタリが来て、釣れに釣れる。
2時間も入れ食い状態が続いて、クーラー一杯の鯖が釣れる。
(当然真鯛ではない)
人間は勝手な者で、あれ程、釣れる事を祈って釣行に来たが、釣れ過ぎると直ぐに厭きる。
ところが、この入れ食い状態が突如変る。
全くアタリが無くなる。
機嫌の良かった奥さん(イクミ)が、僕の行動が脳裏に浮かび不機嫌になる。
全く状況が一遍する。
釣りで言う「潮目が変る」と言う事だ。
潮目が変る時、海水温は数℃も違うと言われる。
この時は状況に棹さしても仕方ない。
但、待つのみである。
(海水の潮目は数時間で変化するが、奥さんは…)
丁度5年前の3月11日、東日本大震災が発生した。
未曾有の地震の規模で、想像を絶する津波の大きさで、東北地方太平洋側の大部分が被害を受け、多くの尊い命が失われた。
現代を生きている私達が決して忘れてはならない事であり、又、後世の人達に経験した世代の者として伝えていかなければならない。
そして5年前のこの時、日本中は喪に服した。
この年、僕はある会の会長を仰せ付かっていて、3月24日に15周年記念式典を行う予定であった。
日本中が宴会を止め、旅行を控え、この震災と向かい合った。
記念式典も当然、どうするんだ、と言う事になり、
「中止か?」「延期か?」
との選択になった。
この時、「当然止めるべき」「中止が正解」と言う雰囲気だったが、
6月に延期と言う事にした。
大震災で電力の供給も少なくなり、計画停電とか、物流の滞りなどで、日本中が暗くなった。
関東に近い観光地は、全て火の消えた様な様態となり、経済は沈滞し、活動が止まってしまった。
震災から1ヶ月程経ったある日を境に、「これでは日本の全体が駄目になってしまう」「もっと日本の復興の為に、旅行もしよう、酒も飲もう」と、
突如、考え方が変わった。
潮目が本当に変った。
海水温が数℃変ったぐらいではない、まるで常温の水が沸騰したように明るくなった。
人間の行動も、海水の流れも同じ様と、すごく変化するものだと経験させられた。
5年経って、今だ復興の完成を見れない人達を想い、もう一度潮目を変え、あの日と同じ様な気持ちを日本人として持ちたいものだ。
大震災5年が過ぎ、寄附やボランティア等、何が出来るか?自分に問い質したい。
記 ダボ・イトウ