一昨日、沼津の寿司店(H店)に居た職人のH氏から、十数年振りにTELが入った。
17年は経っているのは確かだ。
何故かと言えば、僕が酒を止めて18年に、今年の6月でなるから、それ以前の付き合いである。
人の紹介で、美味い店だと紹介され、沼津まで足を運んでいた。
彼は名店「H」の職人であった。
その時、ダボは50才前半で、H氏は僕より15才年下の40才になる少し前だった。
妙に気が合って、渓流釣りが好きで、酒好きと言う共通点が有り、彼が静岡に飲みに来たり、僕が彼と地蔵堂川へ釣りに一緒に行った事が有った。
その彼が、「自分の店を持って5年になるが、酒を飲まんでも良いから来て下さい」とのTEL内容だった。
当時、沼津に飲みに行っていた時は、行きは東海道線で行き、帰りは三島まで出て新幹線で帰っていた。
行きは、JR東海道線の普通列車で行った。
これには訳があって、酒好きだったダボは、ホームにある売店で一杯飲みたいからである。
夏は冷酒と冷奴、冬は日本酒と湯豆腐を引っ掛けて出掛けて行った。
(駅のホームの売店に湯豆腐が用意?なんて思っていたら、お見事、小さなパック豆腐を電子レンジで一寸温めて皿にひっくり返してネギを添えて完成。)(お見事)
地蔵堂川へ釣りに行った時、僕は彼の家に迎えに行った。
狩野川御成橋東側に有ったアパートと記憶しているが、今でははっきりしない。
この彼の自宅に行く時、通った「御成橋」は、我が家では重要な場所だった。
昭和二十年、終戦に依って大日本帝国陸軍を除隊した父は復員後、「夢が無かった」と聞いた事がある。
恐らく、戦場が死に場所と決めていたのに、『平和な社会を喜ぶどころか?戸惑いの世界に放り出された思いだった』と聞いた事が有る。
[この辺の話は「70年」( https://www.daiichi-printing.com/blog/01/10299/ )に書いてある。]
慣れない印刷業界に足を踏み入れ、経験した事のない営業を行った。(本人は
全く無口な人で、喋るのが苦手な人だった)
夢を失っていた時代、沼津の缶詰会社に仕事を受けに行ったそうだ。
そして、狩野川の「御成橋」の袂に居た、人生一度の占い師に見てもらった。(父は80才で亡くなったが、僕の知る限り、占いをして貰う様な人ではなかった)
その時の占いで、「貴方は二人の子供を持つ」と言われた。
母は、不妊の気があったので、父は子供を持つ夢は無かったそうだったが、その後、兄とダボを母が高齢で生んで、二人の父親となった。
占いは当たったのである。(但し、占い師は『良い子』とは言わなかった。)
ダボは、昭和45年(1970年)、高校を卒業して上京。
この時、噂によって「新宿の伊勢丹デパートの裏通りに8:00過ぎに行くと、デパートガールがたくさん並んでいるぞ」と言う、今ではフェイクニュースの様な事を聞いて、田舎学生は新宿にキャッチに出掛けた。
しかし、伊勢丹の裏には一人の女性も居らず、帰る途中、街中に並んでいた一人の占い師に初めて占ってもらった。
18才の時の事です。(人生初めて)
この時、女性の占い師だったが、「貴方は将来、頭と心臓に病の気がある。そして異性との問題で悩むだろう」と言われた。
53才の時、脳梗塞を発症し、69才の時、心房細動で心臓カテーテル手術を受けた。
この事は、以前のブログに記してあります。
「引退」 ( https://www.daiichi-printing.com/blog/06/4119/ )
「進歩」( https://www.daiichi-printing.com/blog/09/8334/ )
今、71才で平均寿命まで10年。
この間に、異性問題で悩む事が生まれるだろうか?
父の占いは当たったが、果たしてダボの人生では・・・。
「当たるも八卦 当たらぬも八卦」
《当たるなら 当たって 砕ける HOT KISS》
《当たらぬなら 当たる的になろう トホホ スキ》
記 ダボ・イトウ