「満開に咲き誇った桜も 名残をのこして散る」
この言葉は、17年前に父親が亡くなった後、僕が、通知文の冒頭の書き出しに使った。
「散る桜 残る桜も 散る桜」
この言葉は、鹿屋の特攻記念館の遺書の中で、読んだ言葉です。
特攻と言うと、停戦の報を聞いた宇垣纏(うがき まとめ)第五航空司令官が、
16名の部下と沖縄で「武人としての死に場所を与えてくれ」
と言って突入した事を思い出す。
この特攻を、「部下に命令して来た責任の取り方として立派」と言う意見と、
停戦後、「私兵として16名を死なせたと言う許すべからず」との
真逆の意見が有る。
彗星艦爆は2名乗りであるが、秋山飛曹長が降りるのを断って、3人で乗って行ったと言う事実もある。
偶数月の15日は、年金支給日だ。
僕も年金支給対象となった。
30歳台や40歳台の時は、年金世代の受給を減らしても、現役世代の負担を軽減させる、子育て世代の優遇措置や援助を充実させる様に思っていた。
一昨日、午後一番に約束が入っていて、昼食を食べる時間が無かったので、
七間町のコンビニで食べて済ませば良いと思っていた。
近頃のコンビニは、僕の様な人の為に、一寸した椅子やテーブルが有る。
ここで食べようと思ったら、子供連れの母親が座っていて座れない。
「そうだ、隣のコミュニティーホールは飲食が出来る」と思って、
隣のホールに行った。
テーブルがいくつもあって、そこで昼食を食べた。
ここで食べていたら、女性が、「良かったらお飲み下さい」と言って
お茶までいれてくれた。
一寸前までは、
「役所の此処の借り上げ経費は無駄だな」と思っていたが、
自分が利用してみると、『便利』となる。
前述の様に、生き残った者、死んだ者とでは、立ち位置が変わる。
年金負担世代と受給世代は、思いが変わる。
介護時代だ。
延命治療を望まないと思っている今の自分が居るが、ベッドの上では何と思うだろう?
記 ダボ・イトウ