高校時代、運動部でバスケットをやっていた。
バスケットは中学に入った時、兄の影響もあって始めた。
中学は城内中学で、一ノ瀬先生の指導も有って県下でもなかなか強いクラブであった。
もっとも、もう50年も前の事なので、今の様にどの学校でもスポーツが盛んと言う事は少なかった。
現在、中学生や高校生のバスケットの様子を見ると、僕達がやっていたバスケットは球遊びに近い。
何でも時代と共に進歩するものだ。
僕達が中学の時代は、人類は100m走で10秒の壁が破れるか?と言う程度であった。
今では9秒台でないと世界の一流の中で勝てない。
東京オリンピックの時の、ボブ・ヘイス選手の筋肉の躍動して走る姿が目に残っている。
高校に入ってもバスケットを続けた。
先日、同期のまとめ役のT君が電話をくれて、創部75周年の事業を行うから、協力してくれとの事だった。
丁度25年前、創部50周年の記念誌の時、先輩と一緒に携わった。
あれから25年過ぎた。
今、振り返るとまだ30才台であった。
今、編集を担当している後輩達は恐らくやはり30才台だろう。
僕達はもう大先輩の地位らしい。
そんな事が有って、T君が同期メンバーに連絡を取って、寄稿文依頼や、写真の提供を呼び掛けた。
久らく会って居ないN君に手紙を出したところ、奥さんから、昨年の一月に亡くなってしまったとの連絡が有った。
もう一年数ヶ月前の事だ。
昔、「村八分」と言う言葉が有った。
付合いをしないと言う意味である。
でも2分は付合う。
それは、「葬式」と「火事」だ。
祝い事や風習の付合いは全てしないが、2分だけ付合って8分は無視するから「村八分」だ。
通信や、情報は世界中に瞬時に届く時代にあって、高校時代、共に汗を流し歯を食いしばり、練習した仲間の死にも付合えない、今の時代に寂しさを感じた。
正しく「町十分」だ。
つまらない世になっている。
N君のご冥福を祈る。
合掌
記 チャボ・イトウ