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『50年』 VOL.9 – NO.616

ダボ 20歳の時

昨年、ダボは古稀を迎えた。2021年10月14日ブログ「古稀 VOL.8 – NO.586」(https://www.daiichi-printing.com/blog/10/10039/)で書いた。

つまり70歳である。ダボだって若い時があった。20歳の時は丁度50年前である。昭和47年(1972年)で、当時は髪の毛も太く、まさか?髪がこんなに無くなるとは思ってもいなかった。(人生には、上り坂、下り坂、まさか!!が有るという実例だ!!)

当時の写真を出してきて、50年の歳月の流れを実感している。こんな時もあったが、髪の毛も、皮膚の張りも、体型も激変してしまった。50年過ぎても変わらないものが有る。あれ程 毎晩飲んでいたお酒も、プカプカ吸っていたタバコも止めてしまったが、55年前の高校一年の同級生であった、平成の風俗王こと〇村君とは友達付合は変わらず、今でも月に2回ほどゴルフを行う間柄である。

ダボ 20歳(見よ!!このモミアゲの長さを!!)

55年の付き合い〇村君

ウクライナで徹底抗戦をしていたマリウポリの人道回廊が5月19日にできたとの報道があった。つまり、ここでの戦闘は終結したという事と言える。
アゾフ大隊よく戦えり」と言えるだろう。

50年前、沖縄が本土復帰を果たした。(昭和47年)

それまで、大日本帝国の敗戦により、アメリカの統治下に置かれていたが、やっと日本の主権が回復となり、流通通貨はドルから円に変り、右側通行の道路は一日にして左側通行に変った。

大東亜戦争で本土上陸作戦を目論むアメリカ軍が45万人余の兵力を持って沖縄戦を開始した。

 

アメリカ軍 沖縄上陸

この戦いで約20万人の兵士・民間人が犠牲となり、その後昭和47年まで戦後27年間、アメリカの統治下に置かれた。現在 沖縄復帰50年が過ぎているが、米軍基地の日本での配置の70%は沖縄だと言われている。

沖縄戦で海軍を指揮した大田実海軍中将が最期の電文で「県民よく戦えり、後世の特別の御高配を」と海軍次官に打電した事は有名である。しかし、3歳年上の先輩S氏さんはこの電文を知らなかった。沖縄戦終了後、3年後(昭和23年)の世代でも知らない。まして、復帰50年である。沖縄戦での民間人や軍の協力も、対馬丸の撃沈悲劇も消えてゆく。

大田実 海軍中将

対馬丸の悲劇

最期の電文

まるでダボの頭髪の様に消えゆく。50年後、今現在、生れた子供たちが令和4年の街を歩いている人々の風景の写真(50年後に写真をみているか?わからんが・・・)をみて全員の人がマスクをしている姿は異様に映るだろう。

50年後にこの街頭の人々を見たら、なんと思うだろう。

 

 

 

 

記 ダボ・イトウ

 

 

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