もう40年以上前になってしまった。
東京で学生生活を送っていた時、一時期小田急沿線の東北沢に住んでいた事がある。
小田急線なので新宿から電車であるが、渋谷からバスでも近かった。
兄貴と待ち合わせ場所は、いつもハチ公前であった。
当時は携帯電話なんてなかったので、その40年前でもすごい数の人が集る場所であった渋谷では、待ち合わせの時間を決めると、
「ハチ公の尻尾をつかんで居よう」
と決めてあった。
この渋谷には代々木に向う道の左側に「くじら屋」と言うくじら料理専門店があった。
ここで母が上京して来た時、3人でくじらのすき焼きを食べた思い出は、昨日の事の様に覚えている。
その当時は別に鯨を食べる事に対して何の非難や貴重さは感じなかった。
むしろ、牛肉が高いので鯨を食べると言う時代であった。
新宿西口横丁の飲屋街では、鯨(ゲイ)カツと日本酒も定番であった。
(決して新宿と言っても、東口からコマに向った方向のゲイとは違う!)
大阪の道頓堀の路地のおでん屋では「さえずり」と言う鯨のおでんをわざわざ食べに行った事もある。
もう15年以上前の話だが、串に刺さった「鯨の舌」のおでん、1本、確か800円した事を覚えている。
5月に入った。
毎年、この時期になると、僕は「つち鯨」の生肉を5kg買っていた。
この「つち鯨」の肉は届いた時から、3〜4日間キッチンペーパーで血抜きをするが、相当量の血がペーパーを赤く染める。
だいぶ血の出る事が少なくなった1週間後くらいが食べ頃になる。
刺身、竜田揚げ、ステーキ、はりはり鍋と、色々な味付け調理して、土佐の銘酒「酔鯨」で一杯、なんて言う食生活でした。
(酒は11年前に止めた。)
この「つち鯨」は5年前から食べられなくなった。
毎年、「くじら購入」予約のハガキが送られて来て、購入手続をするのだが、5年前からハガキが届かなくなった。
5年前の東日本大震災で、ハガキを送ってくれていた石巻の「石巻水産」が大きな被害を受け、販売が終ってしまった。
日本人は鯨を食べると言う事が生活の一部であったが、今では反捕鯨の世界的な流れに依って調査捕鯨も中止に追い込まれてしまった。
追い込まれると言うと、数年前に映画「ザ・コーヴ」で有名になったイルカの追い込み漁が問題となった和歌山県太地町だ。
外国人の盗撮に依る映画作成で、イルカ漁が世界的に残酷な漁と言う事で批判の話となった。
ヒンズー教徒が牛を食材として使っている国を、イスラム教徒が豚肉を食している国を批判はしない。
自らは律しても、外の国の習慣には寛容である。
デンマークでもイルカ漁は行われているが、同じ人種間では問題にしない様だ。
(やはり日本人は白人種の人達から見ると黄色である)
明日から、ゴールデンウィーク終盤に入ります。
3、4、5日と、このイルカ漁で有名になった太地町の「くじら博物館」や「くじら屋」に行ってきます。
ホテル浦島の「忘帰洞」も楽しみの一つです。
来週又、このブログにて、旅行報告をさせて戴きます。
みなさん、良い休日をお過ごし下さい。
記 ダボ・イトウ
One thought on “鯨(くじら) VOL.3 – 245”