50年の歳月は長い様で短い。
50年前と言うと、現在71才のダボは21才の時だ。
今、思い出すと「世界平和、環境の保全、貧困からの脱却」を将来の行動様式としての夢を持ち、今、時代の流れのSDGsの先駆けの様な人間だったなあと、思い直そうとしても思い出せない。
当時は将来の夢と言う時間の長いスパンは考えられず、その晩「何処で飲むか?誰と飲むか?ツマミは何だ?」くらい、その日の事しか考えていなく、50年後の今の生活なんて、これっぽっちも想像出来なく、酒を止めた姿なんて、想像つかなかった。
まして、髪の毛が頭の頂上から消え失せるなんて、硬くて太い状態で処理に困っていたが(変な解釈しないで下さい)、今ではオイルも要らなく、水と手櫛で「ちょいちょい」と撫でれば、大人しくなるなんて考えられなかった。(変な想像しないで下さい)
50年前は本通2丁目にはマンションは一棟も無く、個人世帯の集まりだったので、子供会や町内旅行や夏休み時のラジオ体操などが普通の行事として行われていたが、現在の様に一般世帯は多くが引っ越してしまったり、廃業してしまったので、空地は取り払われマンションの建設が進み、住民数は多くなったが、町内会加入者は増えず、昔の様な町内会(自治会)の運営が出来ない。
<ここ10年で町内にマンション3棟が建築され、現在一棟が計画中で、世帯数だけは4倍になったが、町内会(自治会)参加者は半分になってしまった>
50年前、本通2丁目町内会の役員は、父親(勲さん)が担当していた。
そして、11年前はダボが会長職を仰せ付かり、7年間の運営に当たった。
50年前の若造の時は、町内会長になるなんて、想像が及ばない不良の住民であった。
ダボは、丁度その時と同じくして、子供達が住んでいたシャンボール本通の管理組合長をしていた。
「シャンボール本通」は建築後、40年が経っている。
この時、管理組合総会での意見の相違について、面白い事が解った。
修繕積立金の取り扱いについて、
「ほとんど使って良いから、早く修繕しましょう」A案
「壊れてしまってどうにもならなくなってから積立金を取り崩して、それまでは貯めておく」B案
このA案B案に意見が分かれるが、その人達の顔ぶれを見ると、A案には10年以来に引っ越してきた人が多く、B案には建築当時、分譲当時からの人が多かった。
途中でマンションを購入した人は、修繕積立金込みで部屋を購入したとの思いがあるので、即環境を良くしたい。(A案)
(B案)の人達は、建設以来、皆で一生懸命積み立てて現在の残高になったので、なるべく使いたくない。
この時のダボ執行部は足して2で割る妥協案で、半分程の修繕で済ましてしまった。
先日の新聞記事でのマンションの「50年問題」、つまり建て替える時期が到来してきている。
マンションの設立時に50年の歳月を想定出来なかった。
40数年前、街中の新中町ビルが開発された時、話題となったが、今では現在建築されているマンションとは比較にならない。
(当時は風呂に直接ガス給湯器が付いていたので、廊下側から見ると、排気筒が見えていて、近代的だなあと感心したが、今ではセントラル給湯で排気筒が見えるマンションはセキュリティーが甘いと泥棒に判断されると聞いた事がある。)
昭和初期に震災復興事業として建てられた同瀾会アパートが紆余曲折を経て最終的に処理されたのは90年後でした。
これまで想定して来なかった「ツケ」が廻って来ているのである。
建て替えは難しい。
古い建物を取り壊し、新しい建物を作ると言っても、3〜7年は掛かる。
その間、外に居を移さなければならない。
人々の年齢の問題や、金銭の問題、権利の問題、と種々あるが、解決しなければ建物はどんどん老朽化してくる。
解決しなければ単なる先送りである。
ダボ組合長の判断の様に、どっち付かずの判断では将来が作れないのである。
日本の将来を見据えた肝の座った若手政治家、官僚、リーダーに夢を託したい。
※以前、同じタイトルでブログを記しています。
「50年」( https://www.daiichi-printing.com/blog/05/10650/ )
記 ダボ・イトウ