HOME > 車椅子 Vol.11-696

車椅子 Vol.11-696

6月の某日、駿府公園脇に有る静岡歴史博物館(旧青葉小学校跡地)にパンフレットの見積書を提出に行った。

(その後、何の連絡も無いので、他社に仕事は回ってしまった。。。)

陽気も良い季節になっているので、多くの人が、ジョギングや散歩を楽しんでいた。

その中に、年の頃は70才台前半の男性、女性は50〜60才位の美人の方が、車椅子に乗った男性を押していた。

その姿を見て、19年前の事が鮮やかに蘇った。


19年前の6月13日のAM3:00、ダボは軽い脳梗塞を発症した。

その時ダボは、車椅子にお世話になったのです。

その時の時系列は、下の様です。

⭐︎平成17年6月12日(日) 早朝ゴルフ(AM4:30スタート セルフ10,000円)チサンカントリークラブ

この時、プレー代が10,000円で、「安い!安い!」と言って、朝3:00に出発(S川氏、S木氏、T屋氏)。

流石、夏至少し前でしたが、出発時は真っ暗でした。(まるで泥棒みたい)

今では、10,000円のセルフで早朝、昼食なしでは、割安感はない。

デフレーションは19年で進行した。

19年の歳月は、S木氏、T屋氏とのお別れともなってしまった。

この日のゴルフは調子が良く、ミドルホールでバーディーが2個出て、皆との握りは総勝ちであった。

帰り路、東名高速入口少し前のスカイラーク(今はガスト)で、一杯飲んで帰った。(運転は、下戸のS木氏)

帰る途中、前町内会長の通夜との知らせが入った。

夜、通夜の受付を終えて、帰宅してから、又、中華料理店(バーミヤン)で黒霧島をロックで3杯飲んだ。

母親がまだ健在でしたので、翌日の朝のゴルフの支度をした。(蕗ごはん)

(※沢蕗を井川で、その前の日曜日に採って来てあったので、アクを抜いてゴマ油と豆板醤で味付けして、出汁と一緒にもち米1割うるち9割で炊き上げる。)

そして、明日の葬儀の支度をして、寝たが、夜中に左半身が痺れた、と言う訳だ。

この後、病院に入院し(久らく車椅子生活となった。)色々と話は続くが、今回はここまで。


6月13日のブログは何回も書いている。

「未練(https://www.daiichi-printing.com/blog/06/3305/)」

「デフレーション(https://www.daiichi-printing.com/blog/06/4964/)」

「捨てる(https://www.daiichi-printing.com/blog/06/7776/)」

「転換(https://www.daiichi-printing.com/blog/06/10722/)」

19年経っているが、痺れは残っている。

この病気をしてから、僕の信条は、

『諦めず!期待せず!』

となった。

(病気に幸せは無いが、自分の生き方の検証になった事は、ダボにとって「幸運」であった)

昔と同じ生活が戻る事を、この信条で過ごしている。

あの時が最高!!

今日は苦しい。

でも明日になれば、今日はあの時となる。

そろそろ蛍の季節を迎える。

イエホタル

 

 

       記 ダボ・イトウ

コメントは停止中です。