先日、親しい友達のMさんが「付合え、ジゾー」と声を掛けてくれて、ステーキランチを食べに行った。
その時、カウンターの向かい側に居たお客の女性の姿は、浴衣衣装であった。
隣の紳士はスーツ姿で、何かその組合わせにギャップを感じた。
昼間の時間に浴衣。
相手はスーツ姿。
一寸何だか違和感を感じた。
鉄板の向のシェフが「ニンニクは大丈夫ですか?」と聞いてきた。
食後の臭いが気になる方が多く、断るお客が多いと言う話であった。
全く気にならない、と、友達と言ったら、凄い量の「ニンニク」でステーキを焼いてくれた。
『ニンニクを入れない』
『使って下さい』
との間に、ものすごくの量の差があり、ギャップを感じた。
シェフがステーキを焼いてくれている時、脂身を切り取って皿に盛りつけてくれた。
切り取った脂身を盛りつけない。
「脂身はどうするの?」と聞いた処、嫌がるお客様が多いので捨てると言う。
一寸待ってくれ!
脂身の肉を食べたいから、サーロインを頼んだのだ。
脂身が無い方が良ければ、ヒレ肉を注文する。
多勢の人が脂身を断るそうだ。
多勢の人と僕の好みのギャップにも驚いた。
友達と居て、「毛が無い。毛が有る。」、この差にもギャップを感じた。
(本当はあまり気にしていない)
僕はこの10年でほとんどが白髪になってしまった。
30才台の頃には毛の太さも、今の倍以上は有ったのではないかと思う。
この差も大きい。
こうして異差を眺めてみると面白い。
未熟な世代の時は、この異差を認めない。
反発と反感である。
人はそれぞれ考え方も生き方も違う。
若い時代はこの異差が『好』『嫌』となる。
国家観だって、宗教観だって、違いが有って良いじゃん。
それだから「面白い」と近頃は思う。
色んな人が居るから、社会は楽しいんだ。
画一的な価値観では面白くない。
「水鉄砲」でも「火縄銃」でも、価値観は色々と有る。
友達はその時言った。
「バズーカ砲との価値観は歴然だ」
でも、「ユニクロ」と「GAP」の差が解らないのは歳のせいか?
記 ダボ・イトウ