1918年(大正7年)ちょうど100年前、現在 世界中で感染が蔓延しているコロナウイルス問題と同じ感冒が発生した。中学の歴史で学んだ所謂「スペイン風邪」である。歴史の事柄として学んだが、その背景のウイルスの問題としては習ったか?否か?憶えていない。今年に入って「スペイン風邪」という事を再び耳にして思い出したが、それまでは記憶から「スペイン風邪」という言葉は消えていた。
ダボの自宅は葵区本通二丁目に有る。
中心街に近いので、マンションが多く出来てきている。
現在も2ヶ所にマンション計画が持ち上がって、2~3年経つとすごく街並みは変貌しているであろう。
本通二丁目の中部電力 静岡支店を曲がった処に、静岡神明宮という神社があり、この神社の前に石柱が建ててあって氏子連合青年會の人達が寄進した事が刻んである。やはり約100年の事で前である。
ダボは60年 本通二丁目に住んで居るが、この石柱に刻まれた当時の何軒か有った青年會の住民の名前は一軒しか残っていない。すべて引っ越したりして消えてしまった。
ダボの自宅前に水野商店と言う駄菓子屋さんが有る。雑誌「サライ」でも紹介された、静岡おでん「駄菓子屋系」の名店である。
全国からもこの味を求めてお客様が来ていた。「おでん」http://www.daiichi-printing.com/blog/10/2809/ (2015.10.15)
地方ナンバーのオートバイが頻繁に止まっていたものだ。水野商店はダボが子供の頃、毎日おやつを買いに行った。昭和30年頃は「ナガラミ」「海ツボ」なんて貝類がすり鉢の中に入っていて、おやつとして食べていた。
全く今では考えられん品で消えてしまった。
ダボが本通りに転居する前は金座町に住んでいた。子供の頃、金座町の家の前には大店の「Y口商店(現:●マキ)」「千代●商店」が有って記憶には残っているが、今では姿を消して思い出せない。
高校の先輩の「T・O」さんは、商売柄 古地図を集める事が趣味と聞いているので、一度 見せてもらいたいと思っている。
その水野商店さんに貼り紙がしてあった。
「閉店のお知らせ」であった。
味が染み込んだ「コンニャク」「モツ」「ナルト」、美味しかった味も消えてしまった。ダボの自宅は水野商店の真向かいだ。
閉店のお知らせを写真に撮ったら、自宅が映り込んでいた。ここに来て60年。あと40年で100年になる。40年後まで消えず、自宅は残っているだろうか?100年の月日は色々な事柄を消してしまう。
人の噂も一年は続かん!(安心)
声が聞こえる「消えていないぞ!!」
記 ダボ・イトウ