10年前、福島原子力発電所の前にある10mの防潮堤を14m以上の大津波が超えて電源が喪失された為、メルトダウンが起き、次いで水素爆発で人々の長期避難が余儀なくされた。あの、2011.3.11を境に社会は全く変わってしまった。
それまではローコストの常識と思われていた原子力発電は、その評価が真逆に変わってしまった。津波が防潮堤を超えた様に、人々の考え方も大きな壁を超えたのである。壁の内側と外側は異世界という事になる。
壁の手前と奥には大きな差がある。だから壁と言うのだ。若い頃(30~50歳台)の趣味はイワナ釣りとマラソンであった。この趣味の世界にも大きな壁が有った。
イワナ・アマゴの釣り師にとっては、大物を釣りたい。この壁は尺物である。30cmの魚は時々の頻度で釣れる。しかし、厳密な尺物は30.3cmである。この0.3がなかなか超えられない。(所謂、泣き尺である)
初めてアマゴの尺上は昭和62年8月22日、赤石渡から40分ほど釣り上った(椹島との中間点)場所であった。ダボ35歳の時であった。一度、この壁を超えると今までなかなか上がらなかった尺物も釣れる様になるので不思議な事だ。
もう一つ、マラソンでもそうだ。マラソンの壁は4時間を切る事を目標としていた。フルマラソンで一度だけこの壁を破った事がある。(3時間57分53秒)袋井のフルマラソンでした。こちらは一度しかない。(その後、マラソンは止めてしまった。)
ゴルフも同じだ。この事は前にも記した事が有るが
(『初体験(痛い!) VOL.7 – NO.539』https://www.daiichi-printing.com/blog/11/8856/)
100の壁がある。2ケタと3ケタは一打ではない大きな差となる。(友人、H氏の壁は80であるから立派だ!!)
この他、壁は何にでもある。一番の壁は生死だろう。「この世」と「あの世」。
この壁は最大壁で、行ったり来たりできない。超えたくない壁だ。
(あの世からこの世に戻ってくる人が居ないのは、あの世が素晴らしいので、この世の苦の世界に戻りたくないからだと、言う説がある。)
今日は6月13日。16年前(平成17年[2005年])に、僕は大きな壁にぶち当たった。前日は日曜日でチサンカントリーでゴルフをやって、帰りにスカイラーク(今のガスト)で大酒を飲んで帰ってきた。(飲酒運転ではない)
その夜、町内のお通夜があり、受付をやって帰って来てから中華料理で 又 一杯飲んで寝た。真夜中のAM3:00に起きたら、左半身が痺れていて、翌日、脳梗塞と診断された。3週間の入院だったので、考えることが多々あった。
これを境に僕は壁を作った。 断酒だ!
この日から一滴のアルコールも口にしないと決めた。
娑婆と寄せ場という訳だ。
この壁は歴然としていて、交流が無い。
それまでの酒飲みの友達から下戸の友達に入れ替わった。
それまでは毎晩のごとく街に出掛けていたが、全く街に出掛けなくなってしまった。(まるで地蔵様の様に動かないので、それ以降、家での仇名は「ジゾー」になってしまった。
辛いものが苦手になり、甘味が大好きになって、「あんこは日本の文化だ!!」「汁粉とぜんざい」の違いなど話し合う様になり、壁の内側に入った。
この壁は自分の意志で自由に行き来できるが、もう少しこちらに居るつもりである。娑婆には当分戻らんつもりである。
あの日から今日でちょうど16年の月日が過ぎた。
※ 壁・璧
(壁にキズあり。完璧、玉にキズなし)
記 ダボ・イトウ