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茜雲(日航機墜落から30年)

来月12日で、日航ジャンボ機が墜落して30年が経つと言う事で、遺族の追悼本が上梓された。

あれからもう30年である。

僕がまだ32才の時で、長女がまだ2才の時である。

あれからの時間の経過を考えると、言葉に言い表せない。

時間と言う貴重さに考えさせられる。

 

今年4月に書いたブログ「現在(いま)」(http://www.daiichi-printing.com/blog/04/2375/)の様に、

地球カレンダーで見れば、0.何秒であるが、

この30年の重みは正しく人間の(生物)何ものにも替え難く比較にならない事であって、失ってしまうと、取り返しがつかない。

時間に感謝と言う事だ。

 

一昨日は知り合いのお宅の四十九日の法要が有った。

遺族にとってはお悲しみの日と拝察し、お悔やみ申し上げます。

 

真珠湾攻撃隊が見たのと同じハワイの朝空

僕は丁度、7年前の8月、親戚の姪の結婚式がハワイであって出掛け、夕焼け空でなく、朝の真っ赤に染まった朝空を見た。

日航機の犠牲者の方達が見たであろう「茜雲」。

74年前、真珠湾攻撃でパイロット達が見た朝空をその時想った。

日航機の墜落前、手帳に残した

「お父さんは、もう助からないであろう」

との言葉は、30年経った今でも心に残っている。

さぞ無念であったと思う。

 

零戦や99式艦爆の搭乗員は戦争であるから、ある程度、死も覚悟していたと思う。

「悠久の大義に生きよ」

確かに、地球カレンダーでは、人間は0.何秒しか生きられない。

この言葉を信じて、生命を賭して戦死した人達は、「悠久」に生きているのであろうか?

何か、戦没者が、侵略者と言われる風潮が、国内の人達にあるのが悲しい。(他国の人が言う事に対してではない)

 

価値観は、各個人のそれぞれの持ち方なので自由だが、為政者が生きると言う事に、方向性を決めては残念だ。

大日本帝国 陸軍少尉
伊藤 勲

僕の父である。

関東軍軍人で、南方戦線に向う予定であったが、船舶の都合が付かず、四国で終戦を迎え、生き残り、その後、55年の生涯であった。

そのお陰で、僕と兄が生まれた。

 

「均、終戦の日は凄く暑い日だったぞ!!」

と話してくれた事を想い出す。

 

時間に感謝して、今週も頑張ろう。

 

       記 ダボ・イトウ

One thought on “茜雲(日航機墜落から30年)

  1. 家内のおじいさんも(明治43年うまれ) 戦争に行きました❗ 95才で亡くなりました❗ 静岡の小坂で奥さんの在所が(今でも)みかん畑を(山)を持っており、戦中は兵隊さんのみかん売りと巷では名が知れていたそうです。 昔の人はいろいろな知恵を持っており、おじいさんから教えてもらったことも多くありました❗ 伊藤社長のお父様は私が事務所に行くといつもニコニコしていました。 懐かしいです。すみません❗つまらないですね

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