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徒然草(仁和寺) VOL.4 – NO.324

今週で、●●さんが会社を辞める。

新しい分野への弊社の取り組みに参画して戴いていたが、退職したいとの申し出があった。

『慰留する判断』と『個人の意志の尊重』とに思い悩んだが、退職を了承した。

この時、僕は、彼の気持ちを推し量った思いではなく、僕の脳裏に浮かんだことは、徒然草の「仁和寺の法師」と言う話であった。

高校時代に習った古文に出てきた話なので、50年も昔の記憶で、正確な事は解らないが、確か「些細なことでも人に教えを問う」と言う話であったと思うが、僕はその昔からこの話を、目標(石清水八幡宮)に着く前に引き返してはダメだと言う解釈でいる。

つまり、事前で引き返してはダメだ!

 

今年の年賀状では信条を、

「人の行く ウラに道あり・・・」

と書いた。

本来は、「花の山」とか「宝の山」と明言したかったが、現在置かれている状況を鑑みると「・・・」となった。

しかし、年賀状のゴールには宝の山と滝(危険)を描いた。

つまり、将来の出来事は確定出来得ないが、推測と夢を持つ道を選んで宝の山を探すのだ。

 

●●さんが選択した道は何であったのかと自分に問いてみた。

難破船からネズミが逃げ出すと言われる様、会社の危機を感じたのか?

泥舟ですぐに沈んでしまう判断なのか?

いや違う!

退職する彼は「石清水八幡宮」を参拝せず、極楽寺と高良神社だけで、途中で引き返して本来到着しなければご利益のない本宮に行かなかったと思っている。

 

今日の思いは、「皆を連れてご利益の実感できる本宮の建設が、今の僕に課せられている使命だ!」

泥舟にはならんぞ!

沈没はせんぞ!

高校時代に古文を教えて呉れた先生を急に思い出した。

小倉先生だ!

卒業以来お会いしていないが、僕が65歳なので、先生はお幾つになられたかなぁ?

 

 

 

          記 ダボ・イトウ

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