ダボの母親(伊藤 千代子)は、美男俳優で有名だったアメリカのゲーリー・クーパーが大好きで、子供の頃テレビで映画が放送されていると、母は必ず観ていた。
母親は1911年生まれであったので、若いころ10歳年上のゲーリー・クーパーに憧れたのであろう。
食べ物で母の好きだったものは『あなご』だ!!
東京生まれだった母は「鰻」よりも『あなご』が好きだった。江戸前として、子供の頃に食べた習慣があったからであろう。
ダボは鰻が大好きだ!!
昭和通りに「笛吹寿司」と言う持ち帰り専門店がある。少し前には一番町に居を構えていたが、広い道路に面した場所に移った。この店の前には、毎日 一句が飾られていて、それを読む事も楽しい。(10年ほど前には鷹匠町から市民文化会館に抜け出る通りに●木靴店が有って、ここにも一句飾ってあったのは懐かしい想い出だ。)
7月5日、今日は『あなごの日』と制定されている。
『あなご』は江戸前の名物であるが、江戸時代の話ではない。今でも羽田沖などは良漁場だ。江戸前と言えば、この『あなご』と並んで「小肌」が有名だが、近頃は仕度の勝負の味から冷蔵が発達して、生ものが好まれる。「生の海老」なんて食べ始めたのは、ダボが職に就いてからの習慣である。それまでは「茹でイカ」や「煮貝」があたり前であった。
『あなご』には色々と思い出がある。
①新通の「あなごや」の旧店舗の能舞台
②七間町の「あなごや支店」の大名弁当
①に対する思い出は、昭和53年(1978年)に、ダボはここで結納を行った。僕の両親も先方の両親も健在で(義母は98歳で元気です)、食事のあと、能舞台を見学した。
(結納時には仮面顔[ツラ]で酒を控えていたので、帰って来てガブ飲みした事を憶えている。)
②に対する思い出は、次女が就職して初めての給料を貰ったので、昼食を御馳走してくれて「大名弁当」を食べた。大きな器で2段になっていた。それも、もう15年前の事になった。
この「あなごや支店」は閉店してしまった。「あなごや本店」もスタイルを変えた店舗となり、能舞台はなくなってしまった。
近頃のコロナ騒動で世の中は変わりつつある。あなごや本店の「能舞台」も、あなごや支店の「大名弁当」も消えてしまったが、想い出の中には残っている。
我が社も想い出とならない様、今日現在 無い頭をひねっている。
記 ダボ・イトウ