父、伊藤勲が亡くなって、早や25年が過ぎた。
自宅3Fに、今だ衣裳持ちだった父の背広やタグが付いているアクアスキュータムのスボンが何本か残っている。
又、軍隊行季も捨ててない。
その中に、父が着ていた大日本帝国陸軍の軍服が残っている。
革のバンドも残っているが、ダボは全く腹回りが太くて、ベルトが巻けない。
軍服は、厚い生地で出来ているが、銃弾は簡単に貫通してしまうだろう。
イスラエルのガザに対する攻撃が凄い。
先月の13日の記事だと思うが、国連管轄下の病院に空爆が有り、一般人(子供含)が30名以上亡くなった。
イスラエルのこの空爆に対し、ハマスの幹部ムハンマド・デイフ氏を狙ったものだと、ネタニヤフ首相が正当化していた。
「幹部の殺害を狙った」とは、恐ろしい言葉であるが、戦争と言う名目なら許されるらしい。
便衣隊と言う言葉が、日中戦争(紛争?)当時、よく使われた。
軍人は、軍服を着て、戦闘して殺し合う。
これは合法だそうだ。
便衣隊は、兵隊が便衣服に着替えて、一般人の中に紛れ込んで、戦闘を行う。(便衣兵)
一般人と区別がつかないので、皆殺しの対象となってしまう。
一般人の中に、戦闘員が居るのが悪いのか?
区別が付かないから、皆殺しにしてしまうのが、正しいのか?
朝鮮戦争時でも、ベトナム戦争時でも、同じ殺戮が行われ、ウクライナ侵攻でも、一般人が殺戮の対象になってしまう。
軍服を脱いで、落武者が逃げ延びるのは、普通、一般人は殺されないからである。
今日は、8月6日。
広島に原爆が投下された日です。
東京大空襲の戦略爆撃も、あと3日後の8月9日の長崎「ファットマン」投下も、
一般人に対する攻撃で、軍服を着ていない人に対する攻撃は、戦争法の違反である。(南京事件の正当化ではない)
早く世界中で争いが無くなって欲しいものだが、人類の歴史は、又、戦いの歴史でもある。
いざ戦争になると、戦争法を守る、守らないなんて、人間の野性の部分は「勝つか?負けるか?」の話に変わってしまう。
軍隊同士の戦いでなく、総力戦の時代である。
しかし、何時の時代も兵士達の「士気」(志ママ)が勝負を分ける。
父、勲の兵士としての「士気」についての話は聞いた事は無かった。
「我れ北満の防戦堤とならんとす!!」なんて??
追記:
今週土曜日から、夏休み旅行に一寸行って来ます。
お土産はありません!!
記 ダボ・イトウ