最初の子供が生まれたのは、今から43年前。
つまり、昭和56年(1981年)でした。
ダボが丁度30才の時です。
この時、今は新伝馬と言う名に変わっているが、当時は伝馬町新田と言う処に部屋を借りていた。
この時、「タバコは外で吸って下さい」と言われた。
それに対して、ダボの返事は「タバコを吸う時は、外に出てな!」と言った事を覚えている。
(当時住んでいたs山ハイツ。この建物も43年前の建築だ!)
30才という年代だったので、酒も煙草も好きなだけ嗜んだ。
毎晩の毎く外出して酒を飲む。
酒を飲むと煙草はやたらと多くなる。
通常でも2箱吸っていたので、これが3箱になってしまう。
謂る「チェーンスモーカー」です。
この当時は、お客様の訪問時にも煙草は特別、禁止と言う事はなかった。
当時は、山奥に釣りに毎週出掛けていた。
山奥では、煙草は売っていない。
ベストのポケットに、必ず2箱は新しい品を入れておいた。
水に濡れると困ると言って、帽子の中にショートホープを必ず別に持って行った。
しかし、釣りに煙草を持って行っても、封を切らずに残して帰った事は、一度もない。
有れば有っただけ吸ってしまう。
釣友だったT氏も煙草好きで、彼は名前は忘れたが、細い30本入りの煙草が愛用だった。
二人で山奥で、酒を飲み、煙草を吸い、釣りを楽しむ。
30才〜40才台、当たり前の生活環境でした。
53才の時、酒も煙草も止めた。
このブログで何回も書いているが、脳梗塞を発症したからです。
「6月13日(https://www.daiichi-printing.com/blog/06/1824/)」
「デフレーション(https://www.daiichi-printing.com/blog/06/4964/)」
「捨てる(https://www.daiichi-printing.com/blog/06/7776/)」
20才から始めた(?)酒と煙草の習慣は30年以上続いた当たり前の環境であった。
職場の事務所に、当時、僕以外4人の男性が居たが、煙草を吸わない人は居なかった。
僕が煙草を止めて、他の人に強いた訳ではないが、一人止め、二人止めと煙草を吸う人が居なくなった。
丁度、この頃から受動喫煙とか、公共の場での制限が始まったとして、現在の職場では喫煙とか、煙草の話は全く無くなった。
※酒(アルコール)も、僕が飲まないので、皆で出掛ける様なイベントは全く無くなった。
最初の2〜3年は、会社の外で煙草を外で吸っている人も居たが、現在は誰一人「煙草」なんて言葉を口にする人は居ない。
当たり前の環境が、昔の異常環境、昔の当たり前が現在の異常。
パリオリンピックが11日、閉幕した。
始まって即ぐ、女子柔道48kg級の角田夏美選手の「巴投げ」は、すごく強烈な印象が残っている。
オリンピック体操女子代表の、宮田笙子選手の喫煙・飲酒で、代表辞退(?)と言う話が、開幕直前に起こった。
この対処については、色々と意見が有る。
注意で済ました競技団体も有れば、高校野球の様に全体責任として大会辞退と言う様な話もある。
厳しい環境で、誰一人、煙草や飲酒をしない下では、自ずと自制が利く。
少々の緩い環境下なら、自制も甘くなる。
①煙草好きな人でも、今は、新幹線の中で吸っている人は居ない。
②競技会では全く無いが、プライベートのゴルフの時は、ボールを勝手に動かす。
③ゴルフのハーフ時、ビールを飲む人は居る。
④静岡県ゴルフ協会ではサンバイザーと飲酒は禁止となった。
⑤寿司屋さんのカウンターで煙草を吸うと追い出される。
内部告発は、自制を促すツールと考えている。
記 ダボ・イトウ