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環境 Vol.11-704

最初の子供が生まれたのは、今から43年前。

つまり、昭和56年(1981年)でした。

ダボが丁度30才の時です。

この時、今は新伝馬と言う名に変わっているが、当時は伝馬町新田と言う処に部屋を借りていた。

この時、「タバコは外で吸って下さい」と言われた。

それに対して、ダボの返事は「タバコを吸う時は、外に出てな!」と言った事を覚えている。

(当時住んでいたs山ハイツ。この建物も43年前の建築だ!)


30才という年代だったので、酒も煙草も好きなだけ嗜んだ。

毎晩の毎く外出して酒を飲む。

酒を飲むと煙草はやたらと多くなる。

通常でも2箱吸っていたので、これが3箱になってしまう。

謂る「チェーンスモーカー」です。

この当時は、お客様の訪問時にも煙草は特別、禁止と言う事はなかった。


当時は、山奥に釣りに毎週出掛けていた。

山奥では、煙草は売っていない。

ベストのポケットに、必ず2箱は新しい品を入れておいた。

水に濡れると困ると言って、帽子の中にショートホープを必ず別に持って行った。

しかし、釣りに煙草を持って行っても、封を切らずに残して帰った事は、一度もない。

有れば有っただけ吸ってしまう。

釣友だったT氏も煙草好きで、彼は名前は忘れたが、細い30本入りの煙草が愛用だった。

二人で山奥で、酒を飲み、煙草を吸い、釣りを楽しむ。

30才〜40才台、当たり前の生活環境でした。


53才の時、酒も煙草も止めた。

このブログで何回も書いているが、脳梗塞を発症したからです。

「6月13日(https://www.daiichi-printing.com/blog/06/1824/)」

「デフレーション(https://www.daiichi-printing.com/blog/06/4964/)」

「捨てる(https://www.daiichi-printing.com/blog/06/7776/)」

20才から始めた(?)酒と煙草の習慣は30年以上続いた当たり前の環境であった。

職場の事務所に、当時、僕以外4人の男性が居たが、煙草を吸わない人は居なかった。

僕が煙草を止めて、他の人に強いた訳ではないが、一人止め、二人止めと煙草を吸う人が居なくなった。

丁度、この頃から受動喫煙とか、公共の場での制限が始まったとして、現在の職場では喫煙とか、煙草の話は全く無くなった。

喫煙所

※酒(アルコール)も、僕が飲まないので、皆で出掛ける様なイベントは全く無くなった。


最初の2〜3年は、会社の外で煙草を外で吸っている人も居たが、現在は誰一人「煙草」なんて言葉を口にする人は居ない。

当たり前の環境が、昔の異常環境、昔の当たり前が現在の異常。


パリオリンピックが11日、閉幕した。

始まって即ぐ、女子柔道48kg級の角田夏美選手の「巴投げ」は、すごく強烈な印象が残っている。

オリンピック体操女子代表の、宮田笙子選手の喫煙・飲酒で、代表辞退(?)と言う話が、開幕直前に起こった。

この対処については、色々と意見が有る。

注意で済ました競技団体も有れば、高校野球の様に全体責任として大会辞退と言う様な話もある。

厳しい環境で、誰一人、煙草や飲酒をしない下では、自ずと自制が利く。

少々の緩い環境下なら、自制も甘くなる。


①煙草好きな人でも、今は、新幹線の中で吸っている人は居ない。

②競技会では全く無いが、プライベートのゴルフの時は、ボールを勝手に動かす。

③ゴルフのハーフ時、ビールを飲む人は居る。

④静岡県ゴルフ協会ではサンバイザーと飲酒は禁止となった。

⑤寿司屋さんのカウンターで煙草を吸うと追い出される。


内部告発は、自制を促すツールと考えている。

 

 

     記 ダボ・イトウ

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