京都へ行って来た事は先般書いた。
http://www.daiichi-printing.com/blog/08/1404/
今回は、その時感じた事の第2弾です。
歴史の事は詳しくないが、794(ナクヨ)年に京都に桓武天皇が平安京を遷してから、1869年の東京遷都まで、約1,000年以上も京都が日本の中心であったと学んだ。
(※途中、鎌倉や江戸が政治の中心であったが、天皇の居住地は京都であったと思う)
1,000年も続いた都を、遠く離れた関東に遷す。
これはものすごく大変なエネルギーと、反対論があったのではなかろうか?
何時の時代に於いても、決断を迫られる。
先にこのブログで書いた様に、神国日本が仏教を取り入れる決断。
歴史に「たら・れば」は有り得ないが、現在はその決断の延長上に有る。
現在、
「仏教を日本が取り入れなかった方が良かった」
「日本の天皇の居住は京都の方が良い」
と言う人は数少ないのではないだろうか?
約70年前、日本人は太平洋戦争に負けて、政治体制が変わった。
終戦が早く出来なかったのは、国体護持の確約がはっきりとしなかったからと思う。
日本人の9割以上がこの様な考えであったと、新憲法制定の経緯をみても思われる。
然しながら、民主国家日本を取り入れた。
これは仏教を取り入れる、遷都をする、と同じくらい日本の大きな決断であったと考える。
そして、その延長に今の私達の生活がある。
その当時の人達の決断に思いを馳せると、
「勇気があったな〜」
と敬服する。
でも大きく、この三つの内、民主国家への転換は日本人が自ら決めた事ではなく、敗戦国と言う立場で、外圧(連合国)に依ってもたらされた。
結果はとうにすれ、先の二つの決断は日本人が自らの主体で決断した。
首都圏移転、地方分権、憲法改正、と私達が決断しなければならない大きな問題が数多く有るが、先送りの判断が多い。
外圧が有った方が改革は簡単で先に進む。
2年半前の東日本大震災は、大きな日本人に対する試練を与えた。
あの時の気持ちを変わらず持っていられるだろうか?
自分自身も常に変わらない気持ちと、改革する気持ちを持ち続けたい。
私は、この言葉が好きだ。
「個人は自己の精神に対する義務がある」
今日は一日、ボランティア活動が有る。
形だけの奉仕にならず、心底、気持ちを持って出掛けます。
それにしても暑い毎日です。
記 ダボ・イトウ