高校一年生の時、知り合ったK君は今、ザルツブルク音楽祭に行っている。
オペラ鑑賞が趣味で、本場での公演を見たいと出掛けた。
日本語で歌うオペラも一寸敬遠するが、ドイツ語か?英語か?知らないが、僕は誘われても断る。
(あいつに言っても教養が無いから無駄だと思ってか、誘われる事は一度も無い)
もう50年近くの付合いの友達だが、趣味が違う。
思い返してみれば高校時代のクラブ活動は、彼は「弦楽四重奏」、僕は「バスケット部」であった。
そんな彼が出掛ける前に、近頃「静岡のしきたり」と言う本が人気だよ、と言っていたので、先日、本屋でペラペラとめくっていたら、面白い事が書いてあった。
給食の配膳時に「お茶当番」が居る。
と書いてあった。
他県から見ると不思議な事の様だ。
もう一つ、「出身校は」と言う会話になると、高校の名前を言うと、言う事である。
これも自分達は何の抵抗も無いが、『静岡のしきたり』に書いてあった。
先週の土曜日(16日)に、高校時代のバスケット部の集りが有った。
久らく会って居ない友達は、もう卒業以来なので、45年振りと言う人も居た。
地元に居る人達とは、時折会う事が有るが、他県で就職した人は久らく振りである。
でも3年間しか一緒に活動していなかった同志であるが、会ったと同時に45年の空白は瞬時に埋まる。
何故だろう?
皆一同に
「やはりあの時代の3年間は、密度の濃い充実した時間であった」
と言う想いである。
昨日の様に当時の想い出話になる。
練習中は絶対「水」を飲む事は出来なかった。
練習が終わって、皆、水道に一目散で飲みに行った時、普段は何も怒らないK先輩が、
「俺の前に水を飲んだ奴は、・・・だ!」
と言った事は、今でも語り草だ。
もう一つ、合宿の夕食の時、S監督が「いただきます」との合図を掛け、皆が飯椀を持ったら、Y君は自分の前の丼が無くて、監督が
「自分の飯に気付かん奴は出世せん!」
と言った事は、皆が覚えていた。
60才を過ぎると、勤め人は皆リタイアしていて、僕みたいな中小企業の親父は資金繰りで苦しい。
但一人、余裕の有る者は、自分の前の飯椀が無かった事に気付かず、S監督に怒られたY君であった。
彼は東京大学卒業の工学博士号を持っている。
記 ダボ・イトウ
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