ゴルフの先輩K氏は、
「フェアウェイなんて、ネクタイの幅があれば良い」
と言う程、ショットに曲りが無い。
でも最近は、年齢と共にその幅が広がっている。
週刊誌の付録で吉永小百合さんの写真集を見た。
20代の頃なので、もう40年程前の写真であった。
パンタロン姿は凄く綺麗で、スリムで、美しかった。
パンタロンの裾の幅は広く、今ではあまりお目に掛かれないファッションである。
テレビニュースで、日本の稲作の90%が「こしひかり」だそうだ。
それ以前は、「日本晴」と言う品種が大半の作付けであった。
この「こしひかり」一辺倒となった時代に於いては、その昔作付けを止めてしまったこの「日本晴」が貴重となっていると言う話だ。
2〜3日前の新聞で、遺伝子分析をして、乳ガンになる可能性が高いと言って、健康な体のうちに乳房を取ってしまう治療(?)を行うと言う記事が載っていた。
これからますます遺伝子くんの調査が一般化するであろうとも記してあった。
これには、「あれ?」と感じた。
この風潮化が進むと、結婚前に遺伝子の情報開示が求められることにならないか?
僕等少し前の世代の結婚には、釣書と言う様な身上書を交わす風習が有ったと聞く。
自由恋愛の時代にこんな形式的な結婚なんて求めないと、釣書を求めない時代と思っていたが、この遺伝子くん情報が必要となる時代もそれ程遠くの時代ではないかもしれない。
そして、もっと激しく時代が進むと、遺伝子くんの優劣の問題となる。
「あれ?何だか、『ゲルマン民族の優秀さ』の言葉を使って独裁者として君臨した人が居たなあ?」
ズボンの裾や、ネクタイの幅と同じ様、人間の行動は一定幅の中で、様々に動く。
あっちに動くと、今度はこっちだ!
こっちに動くと今度はあっちだ。
中庸の位置は時代が過ぎないと解らない。
今日現在、言える事は
「40年前の吉永小百合のパンタロン姿は、好きだ!」
記 ダボ・イトウ
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