日曜日(8月24日)に親戚の法事が有った。
彼の家の宗旨はキリスト教であるので、召天式と言う名前で没後10年になる式を行った。
十年一昔と言うが、何となく遠い想い出となってしまっている。
亡くなった人(T・Kさん)に対してすまないと言う気持ちである。
亡くなる2ヶ月前くらいに、散歩しているT・Kさんに偶然に会い、車の中に有った焼酎を渡した記憶が甦った。
その後、すぐに入院してバタバタしている間に亡くなってしまった。
時の流れは待ってくれなく、本当に時の刻みの持つ重みを感じた事はなかった。
法事には兄貴も東京から参加した。
兄貴とは2つ違いである。
僕は今、62才なので、62年間の付合いです。
(当然だ。)
先程の時の刻みの重みは、兄弟の歴史でもある。
法事の後、駅南の「S峰」と言うとろろ料理のお店で、会食を用意してもらった。
「とろろ」(山芋)は兄弟、大好きである。
子供の頃、母親が、だし汁(みそ汁ではなく)をすり鉢に注ぎ、父親がすりこぎを廻して、子供達がすり鉢を持った。
兄弟、二人でこの思い出話をした。
もう、50年以上も前の話だ。
東京で大学生活を二人でしている時に行った、渋谷の井ノ頭線のガード下の立ち食いとろろめし屋「二葉」の話を兄貴として、もうあれから40年も過ぎた遠い昔の兄弟の歴史を話した。
亡くなったT・Kさんは、この10年は現世に居なく、召天されたが、時間の流れの中に生きている。
私たちは、今の一秒、一分、一日、と時を大切にしたいものだ。
『兄貴の弟を62年もやっている』
なかなか出来ない事だ。
特にあの兄貴だから!
「ご苦労さん」
と自分で自分を褒めてあげたい。
記 ダボ・イトウ