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安永7年(1778年) VOL.3 – NO.262

八朔神社

前回のブログは「消えた」(http://www.daiichi-printing.com/blog/07/3400/)という題で、寿司屋のカウンターの前に流れていた水での手洗い装置の事を書いた。

その中で「守貞漫稿」と言う書籍の事を紹介した。

この本は、天保時代(1800年前後)の世俗紹介本である。

 

直会風景(8/1)

8月に入ると、町内に鎮座されて居られる八朔神社の大祭が行われる。

名前の通り、八朔なので、8月の1日と言う事になる。

今日現在では、月の朔望は暦には関連しないが(グレゴリオ暦)、その昔は朔日なので、真っ暗闇の中での大祭であり、神秘的なお祭りであったと思う。

この神社の由来は「駿河風土記」の中に、

『安永7年信州 川中島より 神来る』

と記されているので、この地に230年余、鎮座され、住民の安寧を守っていてくれる。

 

2年前のブログ「信条」(http://www.daiichi-printing.com/blog/08/1392/)では、町内は2組55世帯と書いてあったが、3年経って、本通2丁目町内会は3組70世帯になった。

これは新築マンションが出来て、人数が増えた為である。

僕の挨拶

僕はこの町内で町内会長を仰せ付かっているので、この神社の大祭の時、町内を代表(?)しての挨拶がある。

政教分離ではないが、色々な人が色々な立場で居られるので、「形式的な一般挨拶」となる。

でも、参加している方々は昔からの人達で、新しいマンション住民が増えたと言っても、案内を出しても参加して戴けない。

神事が終った後、神様に献げた品を皆で分けて戴く「直会」を行う。

全く神道的な感覚はなく、親睦会である。

会食をしながら、交流を深める事の出来る良いチャンスだと思うが、建前上、町内会としての案内は出す事が出来ず、氏子総代N氏の主催と言う形を取っている。

あまり、心配する事はないのかもしれないが、7月の終盤起きた、障害者施設「やまゆり園」での悲惨な事件の後、被害者を匿名で報道したら、名前を実名で公表しない事が、差別だとネット上で意見が有った。

色々と、時代と共に人々の考え方は変わるものだ。

僕ももう少し、自由な考え方で神社祭礼を固く考えずして、もっとフランクに町内融和の為の行事と考えても良いのではなかろうか?

何しろ、230年間、この地で神様は弥栄(いやさか)安康をその時住んでいる人々に与えてくれているのだから。

 

何時もこの時期考えさせられるのは、氏子なのか?氏子でないのか?この判断は誰が、どの様な基準で、しているのだろうか?

夏休みに入っていたので、小学生が玉串奉奠をしてくれた。

次世代の運営は彼らに任せたいと思う。

脈々と続く伝統を守ってゆくのが、現在を生きている私達の使命だ。

 

八朔神社鎮座250年祭を住民の皆様と祝う頃が出来るだろうか?

その時は、85歳になっている。

長老として乾杯の挨拶ぐらい頼られたいものだ。

 

 

        記 ダボ・イトウ

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