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大八車 VOL.6 – NO.469

大八車

近頃はリヤカーを引いて廃品を回収しているのを見た事もない。高校時代 秋の仮装行列が(卬高際)伝統であったが、近頃は6月に行われているみたいだ。

 

この仮装行列を行う時、(ダボは昭和45年卒)リヤカーを借りに行った事を覚えている。その当時でも、リヤカーは自動車の普及と共にあまり持っている家は少なかった。

昭和天皇の終戦の詔勅

「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ玆ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英ニ國宣戦セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾・・・」

昭和二十年八月十五日に昭和天皇が国民(臣民)に告げた詔勅によって終戦が決まった。(この受諾には韓国の名前は無い)

軍人であった父親 伊藤勲は困ったらしい。

軍服姿

軍人として生涯を過ごすつもりでいたが「人生が狂ったと」話を聞いた事がある。父が亡くなる(平成11年2月19日)数年前、岡山から戦友のT氏が来静した事がある。

この時 ダボは市内を案内した。父はその頃 肺気腫の為、酸素ボンベを携帯していたのでダボが案内役であった。その時 T氏が終戦の時の話をしてくれた。

父の部隊は満州から南方戦線に移動する為、内地に一時戻ったが船舶の都合がつかず、四国で待機していて終戦を迎えた。武装解除と予備役編入となり現地解散となった。その時 T氏と父は一緒に帰郷した。T氏は岡山、父は静岡である。この時 父は備蓄してあった放出物資を何一つ持たず、T氏の荷物を大八車に積んで『一緒に持ってくれた』との話を聞いた。T氏は「貴方のお父さんは欲のない立派な人です」と誉めてくれた。その後 僕は父に「何で自分の物資を貰って来なかったんだ?」と聞いた事がある。
父は終戦によって「人生の夢が無くなったので何も要らなかった」と言った。

こうして父の第2の人生は始まって、母と知り合い兄貴と僕が生まれての生活は父にとって夢が再び持てただろうか?

四国 高知には想い出が有った様で、ペギー葉山さんが歌った「南国土佐を後にして」が大変好きだった。

南国土佐を後にして

 

(母親が内緒で言った事がある。「数年経って高知から女性が静岡に来たわよ~」父の第2の人生は夢と幸せを感じられたであろうか?二人の兄弟は迷惑を掛けた!!ゴメンネ!)

 

 

           記 ダボ・イトウ

 

 

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