秋の彼岸で、両親のお墓にお線香をあげた。
壇邦寺である別院の庫裡の改修が計画されている。
築40年が過ぎ、狭くなっている。
老朽化が進んでいるので、寄付金のアンケートが来ている。
改修には檀家の寄進と本山の支援にて行うこととなって、知人がその実行委員会のメンバーに選任されて、活動している。
コロナ禍で、葬儀・法要スタイルが激変して、通夜のスタイルも精進落とし(払いの席)、訃報告知等、様変わっている。
葬儀スタイルも、身内・親族だけの家族葬スタイルが多くなり、お通夜に行っても30分足らずで終わる。
コロナ以前は、駐車場が一杯で、入れる?入れない?で面倒であったが、近頃はドライブスルー的で、席に座る事もない。(広い駐車場スペースも不要の時代)
聞こえの良い言葉ではないが、昔?「村八分」と言う風習が有った。(言葉は違えど、今の「無視」と言う事になるだろう)
村民として一緒に暮らしていても、何らかの事情で、無視をする・される、と言う事である。
対象家に祝事や悩みが有っても、「相談も声掛けもしない」、との事らしい。
しかし、八分であって、二分は付き合うらしい。
この二分は「火事」と「葬儀」だそうだ。
火事で村民一同手伝わないと、自分達にも被害が及ぶ。
葬儀は、日本人の心情の中に、「亡くなれば仏様だ」と言う気持ちを持つ。(他国では死者に鞭打つ。墓を暴く。)(感染や呪いが出ない様)
然し乍ら、コロナ禍から訃報通知も少なくなり、後から聞いて、「亡くなったんだ!」と、一瞬思っても、葬送をして別れを惜しむと言う気持ちが少なくなっている。
時代は変わってしまったので、弊社の「メモリット」事業も中止している。(静岡葬儀関連サービス)
先月末から今月の初めに掛けて、非常にゆっくりした台風10号は、大量の雨をこの地にもたらした。
久能のイチゴビニールハウスを流し、日本平を背にしたお寺では、裏山が崩れ、墓地が一部流された。
ここで、先頭の「寄付金」の話に戻る。
お墓の壊れた檀家と、お寺様との修繕費なのか、被害が全く無かった檀家を巻き込んで、費用の工面か?難しい問題を残して、台風は消えた。
※追記:我が家では、家庭内八分です。
『外食と、病気の時だけ、皆集まる』
記 ダボ・イトウ