僕が27才だった38年前に、社会保険労務士の高桐さんと知り合った。
高桐正雄さんと言う。
(普通はこのブログでは名前とか店名とかは記さないが、追悼の気持ちとお世話になった感謝の気持ちを込めて書かせて戴きました。)
その高桐さんが、15日の早朝に亡くなった。
御歳99才で、あと5ヶ月で100才の誕生日でしたが、残念な事に届かなかった。
27才の時に知り合ったと言う事は、今年で38年間のお付き合いをさせて戴いたと言う事だ。
38年前、会社の受注も今と違って忙しく、それまで人数も数人だったので、自ら社会保険事務所や職業安定所に行っていたが、法令の変化も度々あり、これからは専門家にお願いしようと、未だ工場が本通に有ったので、近くの両替町の青汁スタンドのあるビル(河村ビル)に事務所を開設していた高桐事務所にお伺いして仕事を依頼し、それ以後のお付き合いとなった。
その後、会社は与一に移転し、高桐事務所も会社の近くの松富に移られて、お互いに離れる事のないお付き合いとなった。
特に、先代の社長であった僕の父と同じ年であったので、より親密なお付き合いをさせていただいた。
高桐さんはとてもお元気で、元、新聞記者もなさった事があったり、電器商を経営なさったり、非常に多趣味で、特に川柳やビデオ、写真、パソコン等、何でも出来て、スーパーマンであった。
高桐さんの事務所へ行くと、新聞を数種類取っていて、朝、赤エンピツで気になる記事に線をよく引いてあった。
そして、非常に先生と馬が合うと言うか?一寸お互いに社会を斜に見る性格か?何時間も、早く帰るつもりが、行くと話がはずんだ。
その時、奥さんが(数年前に先生より先に亡くなってしまった)奥からお茶を持って来てくれた想い出が、昨日の様だ。
先生は95才を過ぎても、現役で、会社の社会保険の事や、労務の事を処理してくれた。
95才を過ぎて、パソコンに向って事務処理をしている姿は35才も若い僕にとっては、驚きでもあり、敬服する姿であった。
2年前に業務を、近くの社労士S先生に引継ぎ、高齢者住宅に居を替えた。
この場所も近所であったので、先生と会う事が無くなる事も無く、亡くなる前日の14日までお会いする事が出来た。
この施設でも、高桐先生はパソコンを使い、Wi-Fiを繋ぎ、スタッフの皆さんから驚異のスーパー住居者と、感心させられていた。
ここにお会いに行った時、入口で、必ずスタッフの方に、僕は
「大先生の調子は?」
と聞くと、スタッフは
「大先生、相変わらずすごいですね。」
と答えてくれて、皆、高桐さんの事を『大先生』と思っていた事は、すごく嬉しかった。
亡くなって、先生らしく、自分の遺影に使えと、引き延ばした写真は2枚用意してあったし、亡くなった時の、ファイルまで用意して、連絡先は元より、式次第の事までこと細かく記してあった。
さすが『高桐大先生』。
38年間、お世話になりました。
親しい人と別れる事は、辛い。
でも、世の常である。
「会者定離」
ー合掌ー
記 ダボ・イトウ
2 thoughts on “大先生Ⅰ VOL.3 – NO.269”