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残滓(ざんし)VOL.5 – NO.407

ペンライト

前に書いたブログ、「モグラ叩き」(http://www.daiichi-printing.com/blog/09/5176/)の時、矢張りブログも読むだけでなく見る画像も必要と思っているので、ゲームセンター(今でもこの様な呼び名で良いか知らないが?)にモグラ叩きのゲーム機の写真を撮りに行った。

今日(こんにち)では、もうその様なゲームはどちらのセンターにも無かった。

唯一やった事のある機械は「太鼓の名人」で、クレーンゲームも進化していて、昔とは大違いであった。

そして、何と言っても若年層の多い事だった。(特に中学生ぐらいの年齢)

僕の考えの中では、家庭でのゲーム機の発達やスマホでの遊びが多くなって、又、青少年の出入りを制限していた時代を知っているので、ゲームセンターは寂れていると思っていたら、的外れで、大勢の子供達が遊んでいた。

つまりは思い込みが強いのである。(残滓)

大坂なおみ選手

今月の始め、全米オープンテニスで大坂なおみ選手がセリーナ・ウィリアムズ選手を破って優勝した。

グローバルな時代ではあるが、日本人から見ると英語を話す彼女は米国人に近いと感じるが、あのブーイングから見ると米国人は大坂なおみ選手は日本人で、アメリカ人のウィリアムズ選手を皆が応援していた。

やはり人は、無い様で有る残滓を引きずっている。

トランプ大統領

米国と言えば、トランプ大統領の出現に依って関税問題が頭痛の種だ。

日本人は70余年前、米国と戦った事は全て忘れ、アメリカに対して持つ今の日本人の心情は、自由主義、人道的で日本を助けてくれる同盟国としての思いが強い。

色々と諸問題も、米国は同盟国として最後は助けてくれると言う思いが今の日本人の心に残っている。

残滓(無い様であるが残っている)

人は残滓を引きずって生きるものだろう。

あと50年も経った時、(既にダボ・イトウは居ない)日本人が今持っている隣国への残滓は消えているだろう。

逆に大国が入れ替わっている事は、当たり前のこととして受け入れられているだろう。

今、私達が持っている隣国への残滓は消え失せて、米国への残滓が残っているだろう。

思い出は残滓ではなく、歴史である。

 

        記 ダボ・イトウ

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