高校1年の時、同じクラスで知り合ったO君とは15歳の時からなので、もう55年来の友人だ。月に3回程ゴルフを一緒に楽しむ。彼は寡黙な人間で高校時代から今でもちっとも変わらない。
彼の家には大学時代から遊びに行っていたので、家族の皆さんとは顔見知りである。おじさんは早く亡くなってしまったが、彼のお母さんとはそんな訳で永い付き合いをさせて戴いている。彼の家に週2~3回寄るが、O君は昔と変わらず喋らない人間なので、お母さんと話に行くみたいだ。非常に頭明晰でシャープな考えのおばさんである。95歳を過ぎているが、時々ピアノを弾いていたりして(O君は常に寝ているが…(;^ω^) )常に二人で話をしている。
そのお母さんが先日、圧迫骨折になったので、ショートステイの施設に少しの間お世話になると、入所してしまった。すぐに帰ってくると思うが、話し相手が居なくなり、寂しい(O君では話し相手にならん)
自分の母が亡くなった後(平成18年11月2日没)彼のお母さんが話し相手であった。しばしの間、O君とゴルフに行っても、家に上がり込んで話をするという事はないだろう。
今日は10月28日、僕の母の誕生日である。大正元年(1912年)生まれなので、生きていれば109歳であるが、95歳で亡くなった。大正元年は明治45年と同じ(1912)なので、僕は母の葬儀の時の会葬御礼挨拶で、
母は————————————
「明治人の気骨」「大正時代のロマン」「昭和の忍耐」「平成のデジタル」を生きてきたと表現したが、「令和」の時代を生きていれば何と表現しただろうか?
大正時代に「スペイン風邪」を経験しただろうが、関東大震災の話、竹下夢二の話、静岡空襲の話はあったが、スペイン風邪の話はしたことが無かった。子供の頃の出来事で、印象が薄かったのかもしれない。
午後からお墓に行って花を飾って来よう。
追記
ショートステイの施設に顔を出してきた。非常に調子が良く、これでは1ヶ月と経たずして家に戻るだろう。15分しか面会が出来なかったが、家に戻れば前と同じ様、1時間でも一緒に喋れる。
記 ダボ・イトウ