陰暦の10月の事を神無月という。
雷無月とも醸無月とも言われ、俗説によれば、八百万(やおよろず)の日本中の神様が出雲大社に集まって、各地に鎮座なされている筈の処にはご不在となるという事らいし。
町内でお祀りしている八朔神社では、「迎神の儀」が執り行われる。
八月一日の大祭の前日の七月三十一日に静岡市駿河区曲金のJR線の通っている高架線の横の空地におられると言う伝えで、僕と氏子総代のN氏がお迎えに行き、神社に来て戴き、翌日の八月一日(朔日)に大祭を行う。
小さな地域だけの神社なので、一年間の行事は、他に何も行なっていない。
「送神の儀」は無いのである。
お迎えに行くと言う事は、何時か解らないが、神無月と同じ様に一度外に外出なさっている訳で、お迎えが有るのである。
いつお出掛けになって、神社にご不在の時はいつか解らない。
でも、神社には神様の他、霊も宿っておられるだろうし、別に悩む事はない。
氏子の信頼は厚いのである。
「知らぬが仏」と言う諺があるが、正しく「知らぬが神様」だ。
出雲大社に八百万の神様が集まる。
そして、又各地の地元の神社にお戻りになられ、その地の人々の安寧をお守りしてくれる。
時折、お出掛けになっても、又元に戻って来て戴けるし、何しろ不在の時でも氏子の心の中には信頼という気持ちが有るから、神社は大昔から脈々と引き継がれ、守られている。
でも、人口減少に依り、過疎化の進む山間の集落の神社は、10年後には7割になってしまうと言われている。
でも消える確率は3割である。
神様が集まる、そして各地に散らばって行く。
これを離散(参)集(衆)合と言う。
この文字が誤字でなく、正解になる様な今日の風景である。
「鰯の頭も・・・」何やら。
10年後に検証したいものである。
記 ダボ・イトウ