もう20年程前になるが、西俣を釣行中、増水で渡渉ができない「通らず」の処にきた。その上流に行きたくて、山に入り高巻きして降りようとした事があった。少し登って「通らず」だけを過ぎればと思って降りようとしたが、崖だったのでもう少し上まで登って行ったら、方向が解らなくなった。密林ではないが、木に囲まれ方向が全く解らなくなり難儀した事があった。
高校一年の時の同級生にO君が居ると前々回のブログ「10月28日 VOL.8 – NO.587(https://www.daiichi-printing.com/blog/10/10058/)」で書いた。この時やはり同じクラスに勉強が非常に出来るM君という人も居た。彼はK大名誉教授で今般、静岡社会健康医学大学院大学の学長に就任された。僕は彼をよく覚えていないが、彼は僕をよく知っている。何故ならば、僕は授業中寝てばかりいて(夢に出てくるE学院のKちゃんはよく覚えている。)M君は授業をよく聞きながら僕を見ていたらしい。その後、M君は流石、立派で学問の研究者となった。その彼がFacebookで第2の研究テーマとして朝鮮通信使の知識の取得に入ったと記してあった。
先日、この本(独ソ戦大全)で「知の密林」という言葉が書き出しに載っていた。
確かに知の密林は奥が深くて、永遠に道が続くだろう。
ダボ・イトウは若い頃からふざけた戯け者だったので、この様な「知の密林」に入り込んだ事はない。単なる山の中の林の中を迷ってしまう程度だ。
彼の人がいみじくも言った。貴方は「痴の秘密林の探求者ですよ!」と!
確かに今でもこの秘密林から抜け出せず入口をさまよっている。死ぬ前までにこの秘密林から抜け出せるか?チト、自信が無い「戯け者」です。
「雀百まで踊りを忘れず!」
「ダボ100まで悪癖治らず!!」
記 ダボ・イトウ