16年前は毎晩、6:00過ぎになると家で晩酌をした後、外に出て酒を飲みに出かけていた。顔馴染みになると手持ちのお金が無くても、飲ませてくれる。変な話、前日飲んでしまった分のお金を翌日にまとめて払うのは嫌な気分になるので、人間は勝手なものだ。
この前借りを「ツケ」と一般的な言葉で使っている「書き付け」(勘定書)の略だろう。主人の頭の中にだけ覚えてもらっているなら忘れる事も有るかもしれないが、「書き付け」で残っているなら、逃げる訳にはゆかない。支払わなければならないのである。「ツケが廻る」という言い方もある。
ダボは毎日、365日、いや400日以上浴び様に大酒を飲んでいた。この様な事は何回もブログで書いている。「焼酎ロックで三杯!」(https://www.daiichi-printing.com/blog/06/2539/)
ダボはクレジットを持たない。現金主義派なので常にニコニコ払いで、勘定のツケは無かったが、大酒を飲み過ぎたツケが、平成17年(2005年)6月13日に脳梗塞という支払いが廻ってきた。酒を止めると言う決断をしてツケを払った。
毎晩飲みに出かけて行った当時は、T店やK店,S店などの常連でした。T店では寿司、K店では焼きおにぎり、S店ではポテトなどを、存命だった母にお土産として必ず何か?持って帰っていた。母は当時94歳を過ぎていたが、非常に健啖家で、ダボが持って帰る土産を楽しみにしていて、夕食を食べた後であったが、何でも「ペロリ」と食べていた。健啖家の人は、その食欲の為、糖尿病の人が多い。母も例外ではなく、その気が有った。然しながら年齢も年齢なので、「今さら節制しても仕方ないから、好きなだけ食べろ!!」と、ダボは言って、毎晩土産を買って帰った。
2006年(平成18年)3月10日、母は自宅でほんの少しつまづいて倒れた。大腿骨が折れた。それまで何の生活にも問題が無かった母が動けず入院となった。
「即 手術を」との話であったが、手術前の検査でヘモグロビンA1cが「8.5」程あった。主治医が「血糖値が降るまで手術は延期します。」と言われ、手術は1ヶ月後となってしまった。この時、土産を毎晩食べていた「ツケ」を払わされた。94歳の人が1ヶ月程ベッドで寝ていると、若い人と違って老けが急に出てきた。あれほど元気だった母も急激に老けた。10月28日の誕生日で95歳を迎えたが、5日後の今日(11月2日)、95歳の生涯を閉じた。
今日は命日です。今からお墓に行ってきます。
—– 追記 —–
①ダボの若い頃の無鉄砲な行動について、これから「ツケ」を支払わされる事の無いことを祈っている。
②盛土の代執行のニュースが度々有るが、これも処分場の無いことが解っていても、開発をしてきた「ツケ」の払いだろう。
③今回のコロナ禍対策で大盤振舞をしたツケは誰が支払うのだろうか?
(補正予算閣議決定)
記 ダボ・イトウ