昨日、TVのニュースで県教育長A氏の顔が出ていた。
この人の顔は、県民の大多数の人が覚えてしまったのでないか?
この間、ある会合で、市の教育長T氏と会った。
彼は高校時代の同級生であった。
話が上手で、彼と同じ様に学んだ時代もあったのに、と自分の浅学が恥ずかしい。
何かと教育の話が話題になるのは、静岡県の小6学力テスト国語Aで最下位になって、川勝知事の下位校の校長名発表と言う事が発端である。
この時、発表の翌日に教育委員会定例会で、議題にならなかったのは何故だろうと、8月30日「制度」(http://www.daiichi-printing.com/blog/08/1432/)と言うブログに書いた。
11月も中端を過ぎると、大学に入って東京に行ったばかりの年(昭和45年)の11月25日に起きた、三島由紀夫氏の市ヶ谷自衛隊の事を想い出す。
あれから、43年が過ぎた。
あの頃、大学に入学したばかりの私達はもう還暦を迎え、退職の世代となってしまった。
あの時は、三島由紀夫氏が予言していた
「無機的な、抜目のない、中間色の、富裕な、抜目のない、或る経済大国が、極東の一角に残るであろう」
と言った言葉が甦る。
その経済大国も、今では何だか怪しくなって来ている。
この時、三島氏は自衛隊は憲法違反である。
憲法を改正して存在を正当化せよ、との主張であったと思う。
今、憲法論議が喧しいが、その時、先程の教育の話と同じで、それについて議論せず、
「気が狂った」
「美的自殺」
と言う論調であったと記憶している。
議論しなかった人や組織が、時代の流れに依って議論して、果たして正しい方向に向うのであろうか?
こんな諺がある。
『新しい酒は新しい皮袋に入れろ』
ただ、時代を作るのは、今、居る人しか出来ない。
そして、その人は次の世代を作る責任がある。
11月25日『憂国忌』がまた来る。
三島由紀夫氏の『豊饒の海』全4巻を読み直してみよう。
記 ダボ・イトウ