僕の母(千代子)は、平成18年11月2日(今日)午後1時、静岡日赤病院で95才の生涯を閉じた。
今日は命日です。
亡くなって早10年の歳月が流れた。
母は、大正元年生まれ(1911年)で、ほとんど明治時代だ。
僕を生んだのが40才で、当時としては珍しい高齢出産であった。
従って2つ違いの兄と共に、大変甘く(優しく?)育てられた。
ほとんど明治生まれなので、葬儀の時に僕が言った、
「明治人の気骨、大正人のロマン、昭和人の辛抱、平成人の科学の時代を生きた人でした。」
と言う言葉は、今でも母の姿だったと思っている。
下の写真は、亡くなった後、母の財布から出て来た僕の携帯電話の番号を記したメモ書きだ。
常に一緒に行動をしていたが、一寸家を空けると僕の事が気になるのか?直に電話が掛かって来たし、又、僕も電話をしていた。
上記の写真は平成17年10月28日の94才の誕生日のお祝いをした時の姿です。
毎年、父が亡くなった後の誕生日のお祝いは日本平ホテルに二人で泊まりに行っていた。
そして会社の従業員の皆さんから、ホテルにお花が届けられたので、手前に写ってます。
この一年後、母に贈った花が枕花になってしまうとは、夢にも思わなかった。
今年の敬老の日には、100才以上の人が全国で6万人以上居るとニュースで流れていたが、母も100才まで大丈夫と思っていたが、やはりゴルフと同じく100の壁はある。
母は、魚より肉が好きな人で、二人でよく三笑亭のすき焼きを食べに行った。
二人で旅行に行った時も、「お寺はそのうち行くのは解っているからデパートの方が良いわ!」と言っていた感覚の持ち主でした。
母が亡くなって10年。
即ち僕は10歳、年を取った。
今から、お花を持ってお墓に行って来よう。
(母は菊の花より派手な洋花の好きな人だった。)
命日と言う言葉は、現世の人の言葉で、亡くなった人は決してわからないでこの世を去ったが、線香の煙でわかるだろう。
記 ダボ・イトウ
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